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「土井ケ浜遺跡人類学ミュージアム」館長の松下孝幸さん(人類学)たちは
中国社会科学院考古学研究所の韓康信教授らと共同で、
山東省出土の紀元前5世紀から400年間ほどの人骨500体分を調べた。
その結果「体の各部の計測データや顔面のプロポーションのほか、
神経が通る頭の骨の小さな穴といった細かい部分も土井ケ浜人とそっくりだった。」
調査は新たに黄河、長江の最上流部の青海省へ舞台を移す。
「人と文化はおそらく、中国では大河に沿ってつながるに違いない。
これまでの南北の流れとは別の『東西の道』を探りたい」からだ。
中国原郷説への自信がのぞく。
青海省での1998年までの日中共同調査でも、山東省に似た結果が出た。
李家山など三遺跡から出土した約3000年前などの人骨計約300体は、
いずれも土井ケ浜や佐賀県の吉野ヶ里などから出た渡来系弥生人骨の特徴をそなえていた。
「黄河、長江上流の人びとが北部九州など一部の弥生人の祖先だった可能性がある」という分析結果なのだ。
1999年の共同調査では、長江下流の江蘇省梁王城(りようおうじよう) 遺跡と
福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡出土の二体の人骨の、母系遺伝子に限定される
ミトコンドリアDNAの塩基配列がぴったり一致する例まで分かった。
縄文時代の稲作伝播も長江との関係で考えられており、重視されている。
一方、縄文人そっくりの弥生人の人骨が発掘されている。
阪神・淡路大震災の被災者住宅の建設に先立つ調査(1997年)のときに出土した人骨は、
紀元前三世紀の前半、弥生時代前期のものである。
しかしその人骨は縄文人そっくりの特徴を示していた。
典型的な弥生時代の遺物、遺構の中から、土井ケ浜遺跡で見つかったような渡来系の人ではなく、
弥生以前に一万年近くも続いていた縄文時代の人の体つきの人骨だったのである。
福岡県志摩町新町遺跡から出土した人骨も「縄文的な弥生人」だった。
しかもこの遺跡の墓は中国東北部から朝鮮半島にかけて築かれているものとよく似ているという。
さらに、中国・秦時代(紀元前221~202年)の銅貨や新時代(紀元8~23年)の硬貨も出ている。
またその近くの、明らかに稲作が行われていたとみられる曲り田遺跡では出土した土器のうち
朝鮮半島由来の無文土器はごくわずかで、多くは縄文時代の流れを汲む土器だったという。