12/02/10 00:17:01.43 6g0D9u8t
>>457
西川一三氏も中共支配以前のラサに付いて書かれとるよ。ここにも、
URLリンク(zhongguo.livedoor.biz)
「西川一三は日本軍のスパイでモンゴル人ラマに成りすまし、チベットに
潜入、チベット仏教を学びチベットで日本敗戦の知らせを聞いている。
1950年帰国。つまり当時中国に敵意を持ち、ましてや中国共産党に
などなんら好意も持っていない日本人の証言である。」と、その通り。
『秘境西域八年の潜行』芙蓉書房p225~230「聖地ラサの裏街道」の
引用文が要約してある。
「ラサほど道徳が乱れ、風紀が紊乱し、ただれきった汚い街は、世界にも
ないだろう。聖地どころか、泥沼のような街であるといいたい。
政府の首脳部は、小作人、民衆の利益のために働くということより、
どうして彼らから少しでも多く搾取するか、ということしか考えない。
私の在蔵中、一番恐れたのはこの不法を不法としない、不道義を不道義と
しない、封建的なチベット政府の政治であった。最初、シナ官憲にとらわ
れるよりは、チベット官憲にとらわれた方が安全だと気安い考えを持って
いた。それもしだいに、いくらこちらが道理を通しても受け入れられず、
またこちらが正しいことでも、それを受け入れようとしない無法者の
ようなチベット官憲は、シナ官憲に捕らわれる以上に危険であることを、
感ぜずにはいられなくなってきたのだ。これは政府だけではなく、民間でも
徳より金で、シナ社会のほうがよほど住みよいということに気づかされた。
またどこの国でも同じであるが政府内の貴族、高僧の指導者間にも派閥が
あり、相互に時の権力によって相手方を闇から闇へ葬る、醜い闘争も常に
繰り返されてきたのである。
この政府の高官たちとともに、民衆を護ってくれるべき兵隊も、民衆に
とっては恐ろしい存在であった。一度チベットに暴動が起これば、民衆は
暴動より、これを鎮圧に出動した国の兵隊から受ける被害が大であることを
昔から知っている。兵隊たちは暴動の鎮圧はどうでもよく、どうにかして
この際自分の私服を肥やそうということに汲々としているからで、民主は
養っている兵隊が見方であるのか、敵であるのかわからない有様なので
ある。」
下記のネット右翼らのコメント同様、あんたも読んどらんのに
カバチ(文句)垂れよるのう(笑)。