11/08/24 21:39:08.79 HiAbA1Ww
>>501
戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。
あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんや。
(吉田定房奏状)
惣而之風儀柔弱虚談之国風故武は用るに不足也。
篠田明神に野狐多し。此狐人を能くたぶらかす事を得たり。されば此国は唯野狐に衣服をしたるに似たり。不頼也。
(人国記)
信玄はこう考えていた。
「尾張から都までの間は一戦ごとにこちらが強くなる。
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている。
(『甲陽軍鑑』品第三十九)
越後戸中城主の発言
「五畿内・中国の町人によく似ている侍ども」
(『甲陽軍鑑』品第54)
関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語)