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「歴史的仮名遣ひい教室」の添削サービスを使つてみた結果、修正一箇所。
「デスプレヱ」は遺す。
四十年勤め上げた會社を退職し、何やら張り合いの無い日々を送る内、大學生の孫に
「退屈凌ぎに遣つて見玉へ」と勸められた貳チヤンネル。
當初は「かやうな電腦掲示板、何たる幼穉加減」と莫迦にしてゐたものゝ、 遣つて見ると存外に面白い。
華やかな色彩の髮と目を持つうら若き乙女に「ゆとり乙」と何度と無く罵らるゝにつけ、
喰ふや喰はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自づと思ひ返され、
「戰爭さへ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」と獨りごちる事も屡々。
今では、孫の部屋から白銀色の電腦計算機をせしめては書齋に籠もり存分に「祭り」を堪能する毎日を送つてゐる。
「小四女兒遺棄事件」なるスレツドを拜讀した際には、その餘りに不憫な境遇と過酷な運命に落膽し、
臺所で葱を刻む家内に「かやうな理不盡が許されて良いものか!」と熱辯を振るつて呆れられる始末。
年甲斐もない、とは此の事と後で赤面する事しきり。
下手の横好きとは云へ「繼續は力なり」の言葉通り、最近ではブラクラの回避 やコピペの管理にも慣れ、
「好きこそものゝ上手なれ」を座右の銘として貳ゲツトに勵んでゐる。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされる中、老いて尚、矍鑠としてオフ會に
向かへるのも、偏に貳チヤンネルの御蔭かと思へば、再三に渡る「半年ROMつてろ」の 罵り文句も、
何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と云はれてゐるやうで愉快極まりない。
ひとつ間違へれば自らが乘り込んでゐた機體と同じ名前を持つコテハンに出會へる日を
樂しみにしつゝ、今日もデスプレヱに向かふ。
それでは、貳ゲツト。