11/09/28 09:34:49.40 0
「的を得る」を蒸し返してみる。
「得る」支持者が根拠とするのは『礼記』『中庸』には「正鵠に失す」という表現で、
A) 正鵠=的の中心≒的 (※これは「射る」支持者と同じ)
B) 「失する」の対義語は「得る」であって「射る」ではない
C) 「射る」は『(矢などを)あてる』意よりも『(矢などを)うつ』意の方が一般的
まあ A はさておくとして、C も『あてる』が排除されていない以上、「射る」への協力な反論とはいえない。
さて残りの B だが、果たして単純にそう言い切れるだろうか?
・「面目を失する」の対義語は「面目が立つ」「面目を保つ」「面目を施す」等であり、
少なくとも「*面目を得る」とは言わない
・「礼を失する」の対義語は「礼に適う」「礼を弁える」「礼を尽くす」等であり、
少なくとも「*礼を得る」とは言わない
以上から、「的を失する」の対義語が「的を得る」になるとも単純には言い切れない。