【股旅歌謡】橋幸夫スレ5【青春歌謡】at ENKA
【股旅歌謡】橋幸夫スレ5【青春歌謡】 - 暇つぶし2ch751:男です女です名無しです
12/03/24 21:52:44.59 V7fprduv
舟木一夫が橋幸夫を抜いて堂々トップに君臨した昭和38年を検証したが、
それに続く昭和39年も人気上昇の舟木と、人気が手詰まりの橋の比較を通して
舟木一夫御三家筆頭をキッチリ証明していこう。

昭和39年、この年は2月に西郷輝彦がデビューしてようやく御三家3人が揃った年になる。
もちろんこの年も前年の舟木の詰襟旋風は吹き荒れて、前半は舟木独走と言って良いだろう。
「ああ青春の胸の血は」「涙の敗戦投手」「君たちがいて僕がいた」と怒濤のごとく学園歌謡のヒットが続く。
一方の橋は、1月の赤いブラウスから始まって、白井権八、ああ特別攻撃隊、花の舞妓はん、そこは青い空だった、
わすられぬ人、青いセーター、ここまでが前半6月までのシングル発売曲である。
舟木の「君たちがいて僕がいた」は、当時の雑誌に公称枚数が100万超と記されている記事もあるが、
さてこの年前半の橋のこれら7曲の中でヒット曲と呼べるのは何曲あるだろうか?
せいぜい吉永人気におんぶした「そこは青い空だった」が少々ヒットしたに過ぎない。
「いつでも夢を」ですら30万とかいう話だから、おそらくこの曲は10万言ったかどうかくらいのヒットだろう。
この年の舟木の学園3作品とは比較にすらならないし、比較すればあまりに橋が可哀相であるw

この年3月で舟木は学園歌謡を卒業するが、6月に出した「まだ見ぬ君を恋うる歌」は、その後の舟木の叙情的青春歌謡の原型にもなり
またコロムビアお得意の唱歌的センチメンタリズムあふれる楽曲で、舟木にとって学園歌謡以外で初めてのヒットになった。
また、この年3月には浅草国際劇場で初のワンマンショーを開催して大入り満員の大成功を収めている。
そして、この年の映画の面を見ると、橋と舟木では勝負にならないのがわかる。
この年1年間の橋の映画は2本。孤独と花の舞妓はん。
一方の舟木は、学園歌謡をモチーフにした映画作品が5作品。
仲間たち、君たちがいて僕がいた、夢のハワイで盆踊り、ああ青春の胸の血は、続高校三年生。
このうち君たちがいて僕がいたは初の舟木主演作品。続高校三年生は前年度の高校三年生の好評を受けて続編として制作されたもの。
デビュー曲の映画が好評で、続編まで作られた歌手などいただろうか?
それだけ高校三年生のヒットは国民レベルだったのである。その勢いがこの年も続いたという明確な証拠になる。
さて、西郷のデビューダッシュもからんで、舟木西郷のこの勢いに橋がどんどんこのまま失速したならば
おそらく御三家に橋が名前を連ねることは無かっただろうが、この年8月に起死回生を狙って当時人気を博していたベンチャーズの
エレキサウンドを借用して「リズム歌謡」というものを打ち出してくる。
これが青春歌謡ブームの時代に橋が舟木西郷人気になんとか追走し、同期の松島・守屋・北原らが失速する中でも
後に「御三家」と言われるところまで人気の維持に成功するわけだが、舟木の人気は次第にそれすらも飲み込んでゆくことになるのである。
それはまた昭和39年後半の検証で論じてみよう。
とにかく、昭和39年前半は舟木独走が前年から引き続いていたことが明確になったし、
映画の面では、すでに青春歌謡ブーム初期の時点で舟木上位であったことがお分かり頂けただろう。
青春歌謡ブームスタートの昭和38~39年前半は、舟木御三家筆頭ではなく「舟木独走時代」なのである。






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