【股旅歌謡】橋幸夫スレ5【青春歌謡】at ENKA
【股旅歌謡】橋幸夫スレ5【青春歌謡】 - 暇つぶし2ch671:男です女です名無しです
12/03/08 09:30:16.83 awNSgUq5
ではここで、御三家筆頭舟木一夫がデビューし、一気に青春歌謡ブームが花開いて
歌謡界を席巻した昭和38年を見てみよう。舟木のデビューは6月であるからこの年後半の半年を
それまでトップだった橋幸夫と舟木の比較で、橋から舟木の時代への転換を証明してみよう。
この年6月に舟木はデビューしているが、同じ月の橋の新曲は「東京ギター」。
こんな曲は今では聴くことすら出来ない。何故ならヒットしなかったからである。
ヒットしないから後年のベスト盤にも収録されない。
そして薩南健児の歌、白い制服、通天閣の灯、お嬢吉三、若い歌声、月夜の渡り鳥でこの1年間は終わる。
舟木は高校三年生、修学旅行、学園広場、仲間たちと特大ヒットの連発である。
そのうち高校三年生と学園広場は公称100万枚超えである。
橋の前年のレコ大「いつでも夢を」は公称30万枚だそうである(Wiki参照)
つまりこの年の半年間で舟木は、それまでの橋の3年間に追いついたのである。
これがブームの力である。いずれこの「ブーム」について論証しようと思ってるが、
橋幸夫の場合は、デビュー曲はヒットこそしたものの、ブームにはならなかった。
ただ単なる橋個人人気で終わったのである。だから橋路線を追った模倣歌手は俺の知る限り中尾渉しかいない。
一方の舟木は、学園歌謡という新機軸が目新しく団塊の若者世代の心を捉えてブームにまで発展したのである。
だから舟木路線をマネした模倣歌手が大量に出てきたのである。

それはともかく昭和38年後半の舟木の破竹の勢いに対し、橋のヒットは「白い制服」くらいの物。
吉永とのデュエット「若い歌声」や紅白歌唱曲「お嬢吉三」なども小ヒットしているが、
舟木の学園三部作の前では敵ではなかった。ちなみにこの「白い制服」も良く聴くと青春歌謡と言うよりは
「月よりの使者」の若者版的な内容で、股旅以降の橋の路線を模索していた吉田正にとってやや手詰まり感が否めない。
それは紅白歌唱曲「お嬢吉三」がすべてを現わしている。これなど完全に三浦洸一「弁天小僧」の二番煎じである。
しかも弁天小僧ほど大ヒットにもなっていない。
この時期の吉田正は星富佐夫という歌手に力を入れていたと思う。この歌手は吉田好みする声質で第二のフランク的な感じだったのだろう。
この年の橋に股旅ヒットが無いが、吉田としてももう股旅は売れ線ではないと気づいていたのではないか。
まだまだ人気を維持していた橋であったが、舟木の勢いには完全に飲み込まれたというのが
この年の新曲発売の系譜を見れば明らかである。
ちなみに、橋の場合はデビュー年に映画は1本もない。舟木はこの年半年間で2本作られている。
もちろん舟木主演作ではないが、デビューして半年にも満たない新人歌手の曲のタイトル映画を作られたところを見れば
橋の股旅をはるかに凌駕する勢いが舟木の学園歌謡にはあったことが明確にわかる。
昭和38年。この年青春歌謡スタートの年。
この年を境に若者歌謡の第一人者は橋幸夫から舟木一夫に移り、青春歌謡時代が終わる昭和42年まで
舟木一夫の青春歌謡トップ独走の時代に入るのである。これからもこの時代を年毎に検証してみよう。


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