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舟木の場合は「高校三年生」という、過去に例のない新機軸によって時代の寵児になり、
青春歌謡をリードするトップランナーとして、地位を確立したが、
さらに「絶唱」の特大ヒットによって、名実ともに「御三家筆頭」の位置についたのである。
それは当時の芸能誌にも書かれていることで、実質的なヒットでは舟木に太刀打ちできる対抗馬は
いなかったと言っても過言ではなかろうと思う。
舟木が学園歌謡で大当たりした後、舟木同様の学園路線を模倣した歌手が大勢登場したが、
同じく「絶唱」の大当たりの後、叙情歌謡路線を踏襲する青春歌謡歌手もまた大勢出たのである。
(特筆すべきは、洋楽志向が強かった西郷輝彦ですら着物姿で「潮風が吹きぬける町」という叙情歌謡を
翌42年に出していること。当時の芸能誌には「西郷も舟木路線!」と大きく宣伝された)
いかに舟木が当時の青春歌謡をリードしたかは、舟木以外の青春歌手の動向を検証しただけでも明確にわかる