13/01/12 22:32:45.87 C329ZuZs0
それは、また違う例を言えば、まるでごく少数の、タスクごとに計算された、
枯れたコンピュータプログラムが基幹システムに末長く使われるのに対して、
多くのプログラムが、つぎはぎだらけのその場しのぎで作られ、他システムには応用できないのに等しい。
たとえば、WindowsやMacintoshはその思想が20年近く生き残っているが、
つまらないゲームはすぐ消えることなども、ひとつの例である。
つまらないゲームのほうが、短期的には回収できるが、
長期に残らせるには、それだけ練った基本的な考え方を確立し、
いろんなところに自ら普及させる努力が必要であろう。
濱田のオリンパス事件なんか、いっちゃ悪いが、つまらないゲームに等しい。
WindowsやMacintoshになるとは、この場合法律に反映することである。
そこまで計算しての行動でないと、後々のためにならない。
なのに濱田は、"反省"などという、多分にヒトの主観が入ってまうモノを、
オリンパスに要求し、裁判としている。
"反省"を要求し、実態のないあるべき論なんか掲げても、全く無駄であり、
つまらないゲームの開発者が、ユーザーの要望も聞かずに
独断でゲームを作るのに等しいとさえ言える。
他に誰も考えたコトのないような、要望のないあるべき論ではなく、
なぜ、歴史に立脚した、"我々は最低限する"と宣言してきた法律
(たとえば、個人情報保護法)に従い、ベースとし、
自分もそのベースに寄与しようとしないのか。
その理由として、結局のところ、濱田正晴は自分の私利私欲のために
裁判をしているからだと、ワタシは考えます。