12/05/06 14:42:36.45 R7dw1UJa
>>850
>>851
ホルベルクの出だしはアマには鬼門です。カッコよく颯爽と、とは行きません。
ベト7の1楽章もそうですねえ。いつのまにやらミッキーミッキーミッキーミッキーミッキーマ~ウス~~♪
おっとどうでもよいことを
どんな楽器でもそうだけど、自分のやりたい曲がその楽器のための曲かという需給の一致はなかなかありませんねえ。
まあピアノヴァイオリンチェロはまだスイートスポット広い方だがそれでも・・・
合奏曲でも、汎用性の広い弦でも弦合奏だけではと、運命英雄ブラチャイコを求めてオケに入りたがり
ヴィオラの連中は何時の間にやらバッハのチェロ無伴奏のヴィオラ版を弾いていたりしますからねえ
で、オケで運命やるなら原曲なので問題ないが、それ以外は楽器持ち替えになるので、どうしても編曲になる。
ヴァイオリンソナタのソロをまるっとヴィオラに置換するのも結局編曲だからね。で編曲でやろうとすると、
結局編曲の巧拙、奏者の巧拙、楽器の特性という3変数からは逃れられませんね。
しかも編曲の巧拙や奏者の巧拙はどうにかなる変数だが、
楽器の特性というのはこちら側の自由度がどうにも狭い。(ただ編曲や奏者の腕である程度のカバーはできるんでしょうが)
此処から下はマンオケをちら聞きする程度の部外者の戯言ですけど
マンドリン系の楽器は、原理構造がピアノと同じ撥弦楽器なので、
ロングトーンの作音ができ、かつ、音長が自在な管弦楽器とはかなりの特性上の隔たりがあるんだろうなあと思う。
例えばホルベルクの冒頭をピアノ曲に置換できるだろうか、展覧会の絵のキエフが原曲とラヴェル版とどっちが有利か、ということです。
それからすれば、「音長が極度に短いロングトーン」を要求するホルベルクの冒頭がマンドリンに移し替えにくいのは何となく想像がつく。
逆に、弦楽器でいうデタシェでかちっかちっと四分八分の音を重ねていく曲、例えばバッハの幾つかの曲は親和性が高そうだけどどうなんですかねえ。
例えば管組3番。あの曲は管はなくても曲になるので、弦だけでやったことがあるが、正しくそういう曲かなと。