14/07/02 22:08:34.24 /OTkfAgE
映画で「神」ではなく「創造主」と呼んでいるとこ、
この作劇手法は、「この話は、聖書っぽい題材だけど、既存の宗教とか関係ないから」という、
「この物語はフィクションです」宣言なの。
映画通は、すぐに気がついて頭を切り替えられるけど、みんなはどうかな?
頭が切り替えれば、この世界の舞台は地球じゃないし、遠い過去か未来のどこかの惑星かもしれないし、
登場人物は、みんなクローンか人造人間かなんかで、創造主は文字通り科学の進んだ超文明の宇宙人で、
洪水おこしたのも、ただの実験なんだろうな、ということが洞察できる。
ノアがイメージしたのも、神の啓示じゃなくて、宇宙人がノアの脳に送り込んだイメージであり、
そのイメージをノアがどう解釈して、どう行動するかまで、全て宇宙人の実験なんだ、という見方も可能。
ノアの子孫が生き残ろうが絶滅しようが、実験の一環なんだからどうでもいいこと。
宇宙人の手のひらで踊らされ、自分の妄想に振り回されるノアとその家族という、
そういうメタ的な見方をしていけば、いくらでも広がりのある面白いSF映画なんだけどな。