11/11/27 17:14:22.27 ysxsAkQ/
>>531
これが単に、あなたの言う「お約束」とやらやもろもろの「設定」ひっくるめてちゃぶ台ひっくりかえしの「映画的表現」だとしましょう
あなたが話をズラそうとしたように、オブジェのイメージはラストシーンを盛り上げるための「上手い演出」であり「映画的表現」なんでしょう
(繰り返しますがそのこととフラッシュバックのイメージの視点がとっちらかっていることは別の話です。だから俺はズラさせなかったわけです)
で、あなたのそんなズラしにあえてのったとしてもやはり疑問が残ります
フラッシュバックのオブジェのイメージはラストシーンで確認されたからフラッシュバックがコルターの視点(コルターの過去か未来の記憶)のイメージで構成されていることは間違いない、
コルターがジャンプ中に見るイメージだからコルターの記憶の中のイメージかこれからコルターがみるであろうイメージしかありえない
そしてコルターが8分を超えた未来でしか見ることができないオブジェを実際に見た「記憶」が「今」あるわけだから、イメージの中にオブジェが登場したことでコルターが
8分を超える「未来」で生きていること(ハッピーエンド?)は確実だと「映画的に表現」できるわけです
(厳密に言うと常時分岐する無限の平行世界のどこかの平行世界ではハッピーエンドで終わる可能性がある)
わかります?w
観客にラストシーンへの伏線をアピールしたければ、オブジェを出すだけでいいわけです
コルターの顔、しかも シ ョ ー ン で は な く わざわざコルターの顔でフラッシュバックに挟み込むに必然性がないんです
普通、映画には必要ないカットはないからやはりちゃんとした意味が「フラッシュバックの中のコルターの顔」にはあるハズです
まあw、あなたは何回みたのかしらないけど、何十回繰り返し見ても気が付かないらしいカットだからどーでもいいっちゃどーでもいいことかもしれませんけどねw