日本の古代史 Part8at ARCHEOLOGY
日本の古代史 Part8 - 暇つぶし2ch199:LUNAMASK
13/03/06 15:07:08.63 1zyT7E5k
私の最近の日本民族起源論:
縄文期のC1 D2 O2b1a
これらはもはや日本で議論すべき対象ではなく、国際的にそのルーツを議論すべきもの。
おそらくC1はビーチコーマーであり、D2はマイクロブレード、O2b1aは平底土器、
スリットリングと関係するものであろう。
「3王朝交替説と騎馬民族説」とは、いみじくも、掲題の渡来民族の来日時期と重なり、且つ、
最終に渡来する鮮卑系はまさしく騎馬民族である。YDNAで見てみると、その主たるものは
三韓は邑婁O2b1* 貊 O2b 三韓江南 O3 (except O3a3c-M134) 鮮卑 O3a3c-M134なのだが、
このO3a3c-M134というのは洪積世(更新世)末にはスンダランドに進出、沖積世(完新世)には
東岸から西進、仰韶文化を築いたもの。
弥生末ー古墳中期渡来人の原郷地図
羌胡→狐突廟=稲荷神社
穢貊<夫与・高句麗→方墳・四隅突出型墳丘墓
徐福秦韓<魏・蜀・呉→前方後円墳
URLリンク(www.shequno1.com)
日本民族起源を論ずる時には常に
①縄文原住民
②弥生末渡来邑婁・穢貊・徐福秦韓
③古墳中期渡来羌胡
少なくとも上記三大要素を同時に論ずる必要がある。
ちなみにコーカソイドが要素は極めて少ないが③のサカ族、トカラ族としてインヴォルヴ
される。
仰韶文化はカタコーム文化、ヒッタイト、フルリ文化として前3000年期末頃から東欧、中東と
中国西域の文化を一体化するが、前2000年期末の青銅器時代崩壊の衝撃波と共にドルメン、
甕棺を伴い、インド南部、渤海湾、東シナ海、対馬海峡に到達。余波はなんと中部山岳、
鳥海山麓にまで至る。そのコア部分は春秋戦国期の狄、魏晋南北朝期の羌胡としてオルドス
にあったが、これが応神朝秦氏として渡来する。日向大隅の地下式横穴墓は秦氏の同族、
羌胡である。一方、肥前の穹窿石室墓、板石積地下式石室墓、大石蓋墓は同時期に渡来する
鮮卑のもの。ややもして、都貨羅族が信州、サカ族が西関東に入る。
これは扶桑国として知られている。
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みなさんはどう思われますか?


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