日本の古代史 Part6at ARCHEOLOGY
日本の古代史 Part6 - 暇つぶし2ch542:出土地不明
12/11/21 14:52:17.07 t/Qk7+x2
11月21日お元気ですか日本列島14時40分「ことばの宝船」内

・飛鳥時代、聖徳太子の時代には母親・母(はは)は母(パパ)と発音していた。


↑これこそ日本語と韓国語が同祖である証拠。
韓国語で父親をアッパという。転じて日本では母親をアッパと言うようになったのだろう。
母系社会から父系社会への転換などの国家内の家庭環境の変化で。

聖徳太子の時代には秦川勝などの渡来人の活躍もある。

慧慈(えじ、? - 推古天皇31年2月22日(623年3月31日))は、飛鳥時代に高句麗から渡来した僧。

推古天皇3年(595年)に渡来し、厩戸皇子の仏教の師となった。仏教を日本に広め、
推古天皇4年(596年)法興寺(蘇我善德が寺司、現在の飛鳥寺安居院)が完成すると
百済の僧慧聡と住し、ともに三宝の棟梁と称された。推古天皇23年(615年)、厩戸皇子が著した
仏教経典(法華経・勝鬘経・維摩経)の注釈書『三経義疏』を携えて
高句麗へ帰国した。推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に厩戸皇子が没したという訃報を
聞いて大いに悲しみ、自らも推古天皇31年(623年)の同じ日に浄土で厩戸皇子と会うことを誓約して、
言葉どおりに没したという。


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