日本の古代史 Part6at ARCHEOLOGY
日本の古代史 Part6 - 暇つぶし2ch341:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
12/11/02 01:37:15.03 DAG8SAUc
>>331
ほいから、地乗航法の時代に、東シナ海からの移住は無理じゃし、
中国南部の呉越系中国人が海上移民じゃの早うて宋代、多くは明末じゃに。
世界史から東アジアの海洋史を考察された梅棹忠夫氏のツングース水軍
日本征服説が載っておった『日本の海洋民』(未来社)から。
『世界史的にみて、水軍というものは、日本のような島国でなく、
むしろ大陸で形成される傾向がある。軍事勢力として編成されて
いくまでの初期技術段階では、大陸の大河や湖が、そのためのかっこうの
場を提供する。
 歴史上有名なヴァイキングにしても、あのフィヨルドという静かな
水域がなかったら育たなかったでしょう。大洋をおし渡るという
より、海岸づたいに行って、セーヌ川とかテムズ川のような大河川を
遡っていく。あるいはバルト海という内海経由でロシア内陸部まで
大陸河川を伝っていくわけです。その過程で船が大型化して軍事勢力と
して安定してくる。地中海にしても非常に静かな内海だから、昔から
舟運が発達したので、大西洋や太平洋とかの外海でそんなものができる
ものでない。
 極東北部での水軍育成水域は、どこかと言うと、遼河、松花江、
鴨緑江などを考えています。歴史上文献に出て来るワイとか
貊とかいう民族がそのへんにいたわけですが、彼らの活動は
時代的には三~四世紀ですから、もちろん中国文明の影響を
もろにかぶって、軍事編成は北方騎馬民族の影響を十分に受け、
朝鮮南部から日本群島に達し建国したのが、百済であり倭であった、
という一連のツングース水軍による国家群の形成を想定できるのでは
ないか。これが、私のツングース水軍説」の骨子です。
 北方内陸の遊牧民文化が極東諸民族の中に入ってくるときに、
騎馬民族の持っていた軍事編成力とか社会組織は伝えられても、
生活基盤はもう遊牧民ではないのです。生活様式は漁撈と焼畑農耕、
狩猟ですよ。高句麗国家というのは、そういう地盤の上に成立している。
まず高句麗国家ができ、つづいて百済国家ができて、倭の国家ができる。
高句麗・百済・倭というものが、同じ原理つくられたツングース諸国家群
だと見たいわけです。これは、西洋のノルマン・コンクェストと対比
されるべきもので、極東地域でのツングース・コンクェスト。 』


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