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素盞嗚命は天孫族が牧畜時代に崇拝していた、小河墓遺跡の女性貴人埋葬に使用されている牛頭と同じく、
小アジア・バルカン半島の牛頭崇拝がアルタイ・ハカス・オークネフ文化で夏家店下層系民族に取り入れられ、
高句麗・三韓・倭へと伝えられたものであるが、日本においては先行した朝鮮細型銅剣文化人を神話的な素盞嗚
ゾーンに政治的に割り振り、建国当時の箸墓を擁護したのは兵主神社、つまり、徐福系の蚩尤が割り当てられて
いる。このことは魏志倭人伝において倭人が呉の太伯の末裔を標榜することと合わすと、建国時には徐福系の
勢力が大和において幅を利かせていたことがわかり、それは出雲系の四隅突出型墳丘墓が裏日本に、ブリャート系
の前方後方墳が東海に限定されることとも整合する。