日本の古代史 Part2at ARCHEOLOGY
日本の古代史 Part2 - 暇つぶし2ch403:出土地不明
12/01/25 10:39:26.03 Ig7sSUe2
呉の機織り工が来朝したエピソードは、
応神天皇37年2月条
アチオミ・ツカオミを呉に遣わして縫工女を求めしむ
ここにアチオミら、高麗国にわたりて、呉に至らむとおもふ
すなわち高麗に至れども、更に道を知らず
道知る人を高麗に問う
高麗のコニキシ、すなわちクレハ・クレシの二人を添えて導となす
これによりて呉に至るこたえたり
呉の王、ここに工女エヒメ・オトヒメ、呉織(クレハトリ)、穴織(アナハトリ)、よたり(四)の婦女(おみな)を与ふ
の部分だ
(岩波文庫・日本書紀より)
この件は、単純に後漢書・蔡邑伝のパクリとの分析もあるようだが、
オレは呉を目指して高句麗へ渡っていることに注目したい
倭国王師升らが中国との窓口に使っていたのは、楽浪郡だった
卑弥呼の時代も魏の楽浪郡
奈良時代に中国直行ルートが見つかるまでの長い間、
中国貿易の主幹ルートは、対馬→釜山→半島を陸づたいに楽浪郡→山東半島経由だったのではないか?
楽浪郡は、五湖の時代には前燕と高句麗が獲ったり獲られたりを繰り返している
高句麗が南朝を知らなかったというのは、
高句麗が北朝サイドにいたことを暗示している
呉服屋の呉は、上質の織物一般を指すのだろう
清盛は日宋貿易の拠点を広島に築いている
なんの所縁もない所に作りはしない
広島は中国と関係深い土地だったのだろう


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