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青谷上寺地遺跡の結核例が発見されるまでは,わが国で最も古い結核例は、現在は国立長寿医療センター
研究所所長をされている鈴木隆雄先生がかなり以前に全国の古人骨2,000体以上を精力的に調べて発見された、
①千葉県小見川町城山古墳の壮年男の腰椎結核(6世紀)、
②宮崎県西諸県郡高原町旭台地下式横穴の熟年男性の胸・腰結核(6世紀)、
③東京都大田区鵜の木1号墳の50歳代女性の胸・腰椎結核(6世紀後半~7世紀前半)
の3例とされていた。
URLリンク(www.jatahq.org)(P1)
ま、上記のことを踏まえて考えてみると、簡潔に言えば、弥生期に日本海側等の鳥取方面(青谷上寺地)等
から結核が日本列島に上陸して、関東方面(千葉県小見川町①、東京都大田区③)に広がりをみせたと考え
るのが妥当であろう。②については弥生期からの結核なのか、古墳期に直接渡来した人々の影響による結核
なのかは、計り兼ねるが、結核の抗体を獲得していない(免疫がない)弥生時代人は感染率が高いと考えられ
るため、弥生期からの列島本土規模の広がりによるものと考えられなくもない。