10/10/23 22:29:16 zIl1Xv2v
URLリンク(news.google.co.jp)
新潟中越地震:あす6年 ここは、じょんでぇら 集団移転の旧住民が「記録誌」発刊
◇「故郷を忘れない」
新潟県中越地震から23日で丸6年になるのを前に、全11戸が全壊し集団移転を余儀なくされた
小千谷市十二平地区の旧住民が、集落の歴史を後世に伝えようと記録誌を発刊した。地震の翌日、
道路に大きく「SOS」と書いて救助を求めた住民たちは「故郷を忘れることはできない。集落の生活
や自然を子や孫に語り継いでいきたい」と話している。【川辺康広】
十二平地区は旧山古志村(現長岡市)と隣接する山あいにあり、地震前は11世帯41人が肩を
寄せ合うように暮らしていた。ニシキゴイで生計を立てる家が多かったが、土砂崩れと停電で壊滅的
な被害を受けた。個別に移転した1世帯を除く10世帯が06~07年、約10キロ離れた小千谷市
三仏生(さんぶしょう)に移住。池を再建してニシキゴイを育てる人や畑で野菜などを作る人はいるが、
集落は無人になった。
住民たちは、自分たちが集落で生きた証しを残すために「十二平を守る会」を結成。自宅跡地に植樹
をし、石碑を建てるなどして集落の面影を残す活動をする中で、集落の歩みを振り返ろうと記録誌の
編集計画が持ち上がったという。
記録誌のタイトルは地元のなまりで「ここは十二平」を意味する「ここは じょんでぇら」。守る会代表
の鈴木俊郎さん(71)から相談を受けた新潟大災害復興科学センターの福留邦洋・特任准教授らが
約2年かけ、集落の歴史や震災体験、仮設住宅での生活や集団移転の経緯などを住民から聞き取る
などしてまとめた。住民が現在の生活や将来を語った章には「十二平を捨ててないということを、ちゃん
と示したい。先祖から守ってきた神様とかみんなあるんでね」「十二平を花壇にしたい。孫の成長も
楽しみだね」などと率直な思いがつづられている。
福留准教授は「住民がこれまでの歩みを振り返るとともに、今後の生活を考え、次の災害の備えに
なればうれしい」と話している。
毎日新聞 2010年10月22日 東京朝刊
URLリンク(mainichi.jp)