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AKB48の“不動のセンター”前田敦子が、3月25日にさいたまスーパーアリーナで行われたコンサート最終日にグループ卒業を電撃発表した。
国民的アイドルグループのビックニュースに翌日のスポーツ紙はほとんどが一面展開。各局ワイドショーも相当な時間をこの話題に割いた。
しかしながら、卒業の真相を伝えているものはゼロに等しい。
「そりゃそうですよ。いまやAKBと対立してビジネスできる媒体なんでないですからね。
どうしても美談に仕立てなければいけない」そう語るのはテレビ関係者だ。
事実、大半の報道では前田が長年に渡りセンターとしての“重圧”に耐えてきたこと、後輩に道を譲ること、
卒業を考えている他のメンバーの“道しるべ”になることなどがクローズアップされている。一部では今回の
“卒業劇”もプロデューサーの秋元康氏と所属事務所が協議を重ねた“仕掛け”と断じているものまである。
だが、舞台裏を知る芸能関係者は「あれは本当に“ヤラセ”ではありません。前田は前日まで『辞める』『辞めない』で悩んでいた。
むしろ前日の段階では『やっぱり辞めない方がいいかな』と親しいメンバーにこぼしていたほどです」と明かす。
そんな前田もコンサートを成功させ、胸に去来するものがあったのだろう。あの場で口にしたのは、やはり「卒業」の二文字だった。
「所属事務所やレコード会社、代理店も本当に知らされておらず、あの瞬間、何が起きたか把握できていなかった。
その後、関係者はスポンサーの対応に追われ、3日3晩寝れない日が続いたそうです」(事情通)
前田の“卒業思考”についてはリーダーの高橋みなみは昨年の段階で聞いていたというが、
あのコンサートのあのタイミングで告白するか否かまで把握していたのは、プロデューサーの秋元氏らほんのわずかだった。
そもそも前田が卒業を決断した理由は何なのか? 前出の芸能関係者が証言する。
「周囲に盛り立てられてまでAKBのセンターをやることに悩んでいたんです。
昨年のAKB総選挙では大島優子から1位の座を取り返し、過呼吸になるほど取り乱して大喜びしましたが、
その後の現実は残酷。握手会の人数やファンの声援の少なさを身をもって感じ、
本人のなかで『本当にセンターを務めていいのか』と疑問が生じたそうです。握手会ではファンが好きなメンバーのところに並ぶことから、
人気のほどが如実にわかりますからね。彼女は神経質だし、周囲の声も気にする。周りに気を遣ってもらってまでセンターを務めることが苦痛になってきた」
簡単に言えば、前田本人は人気低迷に気付いていたが、周囲は「そんなことないよ。あっちゃんが一番だよ」とヨイショし、
栄えあるセンターを任せてきた。そのギャップに悩み、最後は自分のプライドを取ったのだろう。前田は今後、女優業を中心に活動していくという。
わずか数年で芸能界の酸いも甘いも経験してきただけに、大化けする可能性もゼロとは言い切れないだろう。