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ゴキブリの「卵鞘」をシリコンゴムで複製したレプリカの電子顕微鏡写真(小畑教授提供)
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小畑弘己教授
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熊本大大学院人文社会科学研究部の小畑弘己教授(考古学)らの研究グループは、現在の西日本と東日本のゴキブリのすみ分けが、すでに約5千年前の縄文時代には成立していた可能性が高いことを明らかにした。縄文土器の破片に残る卵の痕跡からゴキブリの種を特定したという。
小畑教授は、縄文土器に残された生物の痕跡である「圧痕」を見つける手法を使い、当時、栽培された植物やコクゾウムシなどの家屋害虫を検出してきた。2016年に本野原遺跡(宮崎)から出土した約4千~4300年前の縄文土器の表面に、ゴキブリの卵が複数入った「卵鞘[らんしょう]」の圧痕を発見。大きさや卵の数などから、主に西日本に生息するクロゴキブリとみられると発表した。
今回、さらに3カ所で出土した約4千~5300年前の土器に残る卵鞘の圧痕について調べ、九州の上田代遺跡(宮崎)と小牧遺跡(鹿児島)の土器から見つかった卵鞘はクロゴキブリ、東日本の堰口遺跡(山梨)から出土した土器に残された卵鞘はヤマトゴキブリとみられることが分かったという。
西はクロゴキブリ、東はヤマトゴキブリという主要なゴキブリの分布がすでに縄文時代には成立していたとみられ、小畑教授は「クロゴキブリは中国南部が起源で、江戸時代に日本に入ってきたという学説もあるが、縄文時代には日本にいた在来種と考えられる」と語る。
二つのゴキブリは家屋の中などに入り込む「家ゴキブリ」。今回の土器が作られた縄文時代中・後期は集落が大きくなっていく時期で、小畑教授は「ゴキブリがいて、クモの巣が張っているような縄文人が暮らす家屋の姿がリアルに見えてきた」とした上で、「害虫に対する認識が、私たち現代人と縄文人で同じとは限らない。研究を進めることは、当時の精神性を考えることにもつながる」と縄文人の姿を思い描いている。(園田琢磨)
10/22(土) 9:53配信
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