22/09/16 19:24:07.22 F9YClmGN9.net
<1989年のホメイニ師のファトワに賛同する「信奉者」にとっては、『悪魔の詩』著者・サルマン・ラシュディの襲撃は正当化されるが>
小説『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディ氏が8月12日、ニューヨークの講演会場で襲撃され重傷を負った。実行したレバノン系米国人のハディ・マタル(24)はその場で拘束され既に起訴されたが、無罪を主張している。
事件の背景には、単なる殺人未遂とは見なせない深淵な事情がある。
『悪魔の詩』出版の翌1989年、当時のイラン最高指導者ホメイニ師は同書を「イスラム教、預言者、コーランに反する文章」と認定し、著者ラシュディだけではなくその内容を知りつつ編集や出版に関わったあらゆる人々に「死刑を宣告」、イスラム教徒に対し彼らを「殺害」するよう呼び掛けるファトワを発行した。
ファトワというのは、特定の問題についてイスラム法学者が発行するイスラム法的な「見解」である。あくまでも見解であり裁判官の下す判決ではないため、公権力による執行が担保されているわけではなく、異論も反論もあるのが通例だ。
一方で、あるファトワが信者に与える影響は時に計り知れないほど大きくなり、信者を行動へと駆り立てることもある。
イスラム教の教義は信者に対し、神の法(イスラム法)のみに従うことを義務付ける。しかし神は個々の具体的事案について直接的に判断を下すことはない。それを委ねられているのがイスラム法学者である。故にイスラム法学者の見解であるファトワは神の判断の「近似値」と見なされ、高い価値が認められる。
■神の勅令に等しかったファトワ
ホメイニ師は生前、イランにおける最高位のイスラム法学者だっただけでなく、79年のイラン・イスラム革命のイデオローグとしてもカリスマ性を誇る。
米メディアは、マタル容疑者のフェイスブックのアカウントのトップ画面にホメイニ師と現在のイラン最高指導者ハメネイ師の写真が掲載されていたことや、彼がホメイニ師について「尊敬している。素晴らしい人物」と述べた旨を報じている。ホメイニ師の信奉者にとって彼のファトワは神の勅令に等しい。
いみじくもイラン国営のイラン・デイリー紙は、マタルの襲撃を「神の勅令の実行」と称賛し、イラン当局はマタルとの関係を否定した上で、非難されるべきはラシュディ自身だと主張した。自業自得だというわけだ。
■ホメイニ師ファトワに賛同しないイスラム法学者も
一方、サウジアラビアを拠点とするムスリム世界連盟の事務局長にして自身もイスラム法学者であるムハンマド・イーサ師はこの襲撃を「イスラム教が認めない犯罪」と非難した。イスラム法学者が皆ホメイニ師のファトワに賛同しているわけではない。
マタルが無罪を主張しているのは、彼にとってイスラム法が唯一の法であることの証しだ。ホメイニ師はファトワで、『悪魔の詩』関係者殺害を目的とした者はたとえ殺されたとしても殉教者になる、とも述べている。殉教者は楽園で永遠に生き続けるというのがイスラム教の信条だ。
日本でも91年、『悪魔の詩』の日本語訳を上梓した筑波大学の五十嵐一助教授が殺害された。五十嵐氏は著書『イスラーム・ラディカリズム:私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』(法蔵館、90年)で、ラディカルだからこそ「私はイスラームに惹かれる」と述べ、ホメイニ師のファトワも一見すると暴力的だがそれは「表面波」にすぎず、背後には「知恵」があるのだと「高く評価」していた。
『悪魔の詩』については、「一イスラーム研究者として」イスラム教に対する「冒瀆の書ではないと判断した」と述べている。
五十嵐氏殺害事件の真相は今も明らかになっていない。【飯山陽(イスラム思想研究者)】
9/13(火) 19:27配信
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
URLリンク(newsatcl-pctr.c.yimg.jp)