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閉店のお知らせ
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30年以上の歴史があるホールも閉店
8月31日、東京・上野にある2つの老舗ホールが閉業してしまいました。
1つは31年の歴史があり開業当初はエリア最大規模でもあったS店、もう1つはアメ横を挟んだ御徒町駅側で39年営業していたD店です。
どちらも筆者が上野を俳諧するようになった30年ほど前からあったホールで、ましてや直近まで通っていただけに、個人的には一抹どころじゃない寂しさを覚えます。
これで現在、上野エリアで営業を続けているホールは首都圏の繁華街を中心に出店している、店舗数こそ全国大手ほどではないものの地場の競合チェーンの3軒だけとなってしまいました。
かつて全国的にも知られるアメ横を中心とした上野から御徒町までエリアには、30軒以上のホールがしのぎを削っていたことを考えると隔世の感があります。
当時はパチンコの聖地などと呼ばれ、朝にはあちらこちらのホールに開店待ちの行列ができていた光景もありました。
そして夕方を過ぎれば会社帰りの勤め人で、空き台を探すのも難しいほど。ちょうどパチンコブームが盛り上がりつつあり、業界が30兆円産業などと持てはやされていた頃だったでしょうか。
上野はなぜパチンコの聖地だったのか
上野には繁華街から昭和通りを挟んだ先、古くからのコリアンタウンである上野キムチ横丁の周辺にはメーカーや販社などパチンコ関連企業が集まる「パチンコ村」と呼ばれるエリアがあります。
その立地から上野のホールは新台の導入が早かったり、「業界関係者も通うからちゃんと出している」なんていうのが聖地になった理由なのかなと推測されます。
それがCR機登場初期からのパチンコブーム、また4号機で盛り上がったパチスロブームが終焉するに伴い徐々にホール軒数は減少。
それでも地方のホールが「東京で一旗上げるぜ!」的に居抜きで入ったりもしましたが、競争に敗れてあえなく撤退していくに伴い、10年ほど前には10軒以下にまで数を減らしました。
ちょうどこの頃には今も残る地方の大手が出店し、残っていたホールの客が大移動したりなんてことも。
思えば上野は大手が進出していなかったエリアでもあり、それだけに各店舗が個性的な営業をしていたことも上野が面白かった理由の1つでもあったんですが……。
ブームが去れば……つまりは参加している人口が減ってしまえば、そのジャンルが廃れるのは必至であり必然でしょう。
バイク街と同じようなことが上野エリアのホールで起きているだけだとすれば、それは仕方のないことです。
またホールが減っているだけではなく、パチンコ関連企業が集まる「パチンコ村」も、メーカーや販社の倒産などで空きテナントが目立つようになっています。
またコロナ禍でショールームが閉鎖されてしまい、以前は新機種を見に来ていたホール関係者が多く歩いていた道も閑散としています。
これからの上野はどうなっていくのか……
このままパチンコの街として業界をリードしていた上野はどうなっていくのか……。もしかしたら大手の出店で再び盛り上がるの可能性もあります。
それでも60台しかないような小さい店、今では考えられない全台1回交換という独特な営業方法の店、セクシーな衣装の女性店員を揃えていた店、筆者の大好物である違法改造されたパチスロ裏モノで有名だった店などなど……。
それぞれ強い個性を競い合っていてホールを回るだけでも楽しかった上野のパチンコ生活が、過去の思い出だけになってしまったのは間違いないでしょう。