21/08/28 10:49:28.94 LQ3HUBXE9.net
就職氷河期世代でまともな職につけず、将来の見立てができない、子育てと親の介護にお金を使い老後に自身が生きる蓄えなどできるわけがない、
将来に対する不安が多様で大きすぎて、早く死にたいと毎日考えている......。
「彼・彼女らが抱えているのは、単なる「生きづらさ」ではなく、もっと暴力的で対処不能な現実だということだ。」
現代にはさまざまな不安や生きづらさがあり、個人の力でそれらに対処するのはもはや無理なのではないか。
攻略が極めて困難なゲームを意味する「無理ゲー」という言葉を使って、現代はそんな「無理ゲー社会」であると指摘するのが、
橘 玲さんの新著、『無理ゲー社会』(小学館)である。現代社会のリアルな分断の構図を描き、
13万部を超えるベストセラーとなった『上級国民/下級国民』(小学館新書)の著者である。
ームであるからにはクリアのための目的やルールがあるはずである。本書にはこれに関して、以下の記載がある。
(略)......きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、
たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。
そもそも人生をゲームと捉えるべきではない、など異論はありそうだが、ゲームであれば公平なルールでなければならないだろう。
では「公平」さとは何か。本書では、機会の平等、つまりスタートラインが全員同じであること、と定義している。
そのうえで、競争の条件が公平ではないと感じている人がいること、
また、そもそも競争をさせられるのが理不尽だと考える人がいることを指摘し、「理不尽」と思われるゲームの構造やその理由が綴られていく。
■才能によって格差が生じる現実
例えば格差の問題。お金持ちの人、そうではない人、その違いはどこから生じるのか。
昔の階級社会であれば、その違いは「生まれ」で生じただろうし、逆にお金持ちになれなかったことを「生まれ」のせいにできた。
しかし、リベラルな社会、自分の意思で自由に選択できる社会では「生まれ」に関わらず、自分の頑張りにより才能を伸ばすことで成功できる、と考えられている。
知能格差が経済格差に直結するのだ。
成功できない場合は「自己責任」とされ、自分を責めることが生きづらさの一因ともなるが、はたして才能は「公平」なのだろうか。
そこにくじ引きのような運の要素、「遺伝ガチャ」が存在するのであれば、そもそも無理ゲーではないのか。
本書では「遺伝なのか、環境なのか」という問題に対して、学術論文に記載されたデータを紹介し、
ほとんどの人にとっては「遺伝が半分、環境が半分」と結論づける。
ただし、環境にも色々とあること、幼児期の子育てにはこれまで言われていたほどの重要性がないこと、友だちという集団の影響などについても述べられている。
遺伝的な要因を無視はできないものの、自分の手で運命を切り開くことができる。
少し中途半端にも思えるこの結論は、実は「ゲームのスタートラインは完全に公平であるべき」という条件にとっては「不都合」である。
しかし、これを事実として受け入れたうえで、よりよい社会を構築することが求められるのではないか、と著者は述べる。
(以下略、全文はソースにて)
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★1が立った時間:2021/08/27(金) 16:13:16.61
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