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資料を広げて「筑紫平野連合説」を説明する片岡さん
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今なお所在地を巡り、近畿説や九州説などで論争が続く「邪馬台国」について、小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(64)が唱える「筑紫平野連合説」が注目されている。邪馬台国を含むクニの連合が福岡、佐賀両県に広がる筑紫平野にあったと見る説で、講演依頼が増えたり、全国放送のテレビ特集で取り上げられたりしている。
片岡さんは北九州市戸畑区出身で、早大で考古学を専攻。小郡市に入庁後も邪馬台国を長年研究。発掘実績などを基に、北は筑紫野市、南は大牟田市、東はうきは市、西は佐賀県武雄市まで広がる筑紫平野で確認された数十か所の環濠集落がネットワークを形成し、邪馬台国連合をつくっていたとする説を約10年前から唱えている。2011年と19年には関連本を出版した。
同連合説は、3世紀頃の日本を書いた中国の歴史書「魏志倭人伝」に、「倭には三十国あり、そうした国々が共同で擁立(共立)したのが、邪馬台国の女王卑弥呼」と表現している点に着目した考えだ。
筑紫平野の集落遺跡では、鉄や青銅器などを1か所で製造せず、分担してそれぞれのクニで製造し互いに供給していたとみられることが、「一つのクニの連合だった証しになる」という。
ただ、卑弥呼の墓とも言われる「箸墓(はしはか)古墳」(全長約280メートル)のある纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)などを根拠にした近畿説の研究者からは、筑紫平野には3世紀頃の大規模古墳がないことから、「筑紫平野に限ると、邪馬台国のスケールが小さ過ぎる」との批判もある。
これに対し、片岡さんは「『共立』とは同規模の多くの国が共に立てたことを意味する。大きな古墳を造れる強国が一つあれば、『共立』は使わない」と主張する。
「邪馬台国は強国」とのイメージを覆す片岡さんの説は、1月に放映されたNHKのBS番組で紹介。オンラインで東京のカルチャーセンターの講師を依頼されるなど反響を呼んでいる。
片岡さんによると、邪馬台国論争では、近畿説が優勢だったが、最近、関西でも九州説を支持する研究者が出てくるなど盛り返してきたように感じるという。
片岡さんは「強い国がリーダーというのは現代的な考え方。古代には同規模のクニがたくさんあり、話し合いで女王が選ばれた。今の日本人にも、社会のあり方を考えるいい機会になると思う」と話し、今後も新著で自説を紹介する考えだ。
読売新聞 2021/05/26 05:00
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