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現代ビジネス5/9(日) 8:16 飯田一史
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かつて情報や人脈、モノは大都市でなければ手に入らないものが多かった。ところがSNSやEコマース、動画や音楽のサブスクリプションサービス普及などによって、都市の吸引力は相対的に下がり、固有性が失われつつある。
長らく都市中心で語られてきた若者文化研究/若者論に再考を促す木村絵里子、牧野智和、轡田竜蔵編『場所から問う若者文化 ポストアーバン化時代の若者論』(晃洋書房)には、対極的に位置づけられてきたオタク文化とギャル・ギャル男文化それぞれの約四半世紀の変化を社会学的に研究した論文が所収されている。
論文の寄稿者であり、長らくコミックマーケットのスタッフも務める大倉韻氏(東京医科歯科大学教養部ほか非常勤講師)と、2000年代初頭に渋谷センター街を拠点とするイベントサークルive.に所属し、トップを務めた荒井悠介氏(成蹊大学文学部調査・実習 指導助手ほか)という、ふたつの文化の当事者でもある(あった)ふたりに、それぞれがどう変わったか、その変化に共通するところはあるのか、そして交差する点はあるのか―若者文化の現在について訊いた。
ふたりにひとりが「オタク」の時代
―オタクとギャルをめぐる変化の流れについて、まずはうかがえれば。
大倉 1990年に宮台真司さんが首都圏で行った調査では「自分にはオタクっぽいところがあると思う」に「はい」と答えた割合は13.4%でした。2005年、2009年、2015年に同様の調査をしていますが、「はい」の割合がどんどん増えて最新では半数を超えています。ふたりにひとりもいるともはや「オタク」というグループが成立していない。「誰がオタクなのか?」を定義して分析することが非常に難しくなっています。また、漫画、アニメ、ゲームの消費度合いやオタクを自認するかどうかに関しても、大都市圏の杉並に顕著に多かったのが、最新調査では地方都市である松山と差がなくなっています。つまり、いわゆるオタクコンテンツは非常にポピュラーなものになった。一方で「ほかのことを犠牲にしてまで何かに熱中する」というかつてオタクと言われたときにイメージされる人の割合は減っているのではないかと言えます。
荒井 「セクシー」「アグレッシブ」「トレンディ」の3要素を持つ「ギャル」と言われる人たちは1970年代頃から存在しましたが、それがOLから女子大生、女子高生へと広がり、1996年に渋谷109が若者向けファッションビルに変化したことで、いわゆる「ギャル文化」がひとつのかたちを持つようになりました。アメリカ西海岸に影響を受けたLAファッション―日焼けをしてリゾート地にいるようなファッション―を身にまとったギャル、そしてそのカウンターパートナーとしての「アメカジ」の男性が80~90年代にかけて生まれてきます。
それが2000年頃に渋谷を中心にヤマンバ、ギャル/ギャル男ブームになり、2005年頃には全国に広がります。109が全国展開し、郊外のショッピングモールやしまむらでも、ギャル系の服を購入できるようになりました。2009年まで109は増収を続けますが、そこにZARAやH&M、フォーエバー21などのファストファッションが入ってくると減収に転じ、ギャル文化は拡散してゆるやかになっていきます。そして2012年頃には雑誌がギャル文化伝導に巨大な力をもっていた時代が終わります。とりわけ00年代中半から00年代後半にかけては「雑誌に出たい」子や雑誌に関わる人脈を求めて渋谷に出てくる子も多くいた。ところがTwitter、Instagramが台頭すると渋谷に行かなくても人脈が得られ、リアルなファッショントレンドがわかるようになりました。インフルエンサー台頭以降は当初のインスタ上の「写真」から最近ではTikTokやインスタのリールでの「動画」での評価も重要になってきています。
大倉 かつては秋葉原など情報とモノが集積した場所に行かないといけなかったのが、デジタルコンテンツの普及でそうではなくなったという意味では、オタク文化も似ていますね。テレビの地上波アニメにしても、かつては「うちの県ではテレ東系列の放送局がないから観られない」といった地域格差がありましたが、今は配信が充実していて日本のどこにいても観られますから。
(長文のため以下リンク先で)