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僕は就職無理なんや!
俊英さんは、高校3年生になり大学受験をした。しかしもう一歩というところで、希望の大学には受からなかった。
「来年もう1回受ける」ということで、予備校に通うことにした。
高校でも予備校でも、友だちはできなかった。小学校時代の友人や近所の友人とも、付き合いがなくなっていた。
ただ予備校と家を往復し、勉強するだけの日々。俊英さんは、とにかく勉強に励んだ。
1年後、俊英さんは受けた大学に全て合格した。先生もびっくりするほどの結果だった。
「嬉しかったですねー。これをきっかけに、自分で動き出してくれるかなと期待しました」(世津子さん)。
大学ではサークルに入ることもなく、バイトもしなかったが、俊英さんは授業をさぼることなく毎日通った。勉強が好きだった。
そして相変わらず「周りの子が遊んでばかりで全然勉強しない」といつも怒っていた。
しかし俊英さんは、ゼミに入ることができなかった。なるべく人数の少ないゼミを選ぼうとしたのが仇となり、俊英さん以外に希望者がいなかったため、そのゼミがなくなってしまったのだ。
4年になると俊英さんも就職活動に挑んだが、なかなか難しかった。コミュニケーションが苦手なので、面接がうまくいかないのだ。
「僕はサークルもアルバイトも何もしてないから、あかんかったんや」
結局、就職先が決まらないまま、大学を卒業した。
それからも俊英さんは、ハローワークに行くなどして、なんとか就職先を探そうと頑張っていた。
しかし1年くらい経ったころ、突然キレるようにこう言った。
「やめた! 無駄やー。僕は就職無理なんや!」
(略)
地獄の始まり
引きこもりが9年目に入るころから、俊英さんはだんだんと荒れるようになった。興奮すると、手がつけられなくなる。
ものを投げたり、食べ物を投げたりする。ガラスを殴って手に大ケガをしたこともある。2階から外にものを投げることもあった。
暑い日に、クーラーもない部屋でふとんをかぶって出てこなくなったこともある。
「そんなことしてたら病気になるよ」と言うと、「僕は病気になる」と答えたという。暑さで意識がもうろうとして、熱中症一歩手前になってしまった。
父親に当たることも多かった。
第三者のほうがいいかもしれないと、世津子さんの兄に来てもらい、説得してもらおうとしたこともある。しかし俊英さんは激高して「おじさんあっちいけー」と怒鳴るだけだった。
伯父が帰った後、「なんでおじさんを呼んだんや」「あのおじさんは頭がおかしい!」と怒り狂った。
次第に俊英さんは、近所の音に敏感になった。
三上さんの家のそばには駐車場がある。そこに車が出入りするときに、敷いてある鉄板の音が大きく響くのが、気に入らないという。
車が出入りするたび、窓を開けて「うるさいー!」と大声で怒鳴った。
「そんな声を出しちゃダメ」とたしなめても、「向こうが悪いんや。これまであの音にどんだけ苦しめられてがまんしてきたか、わからんのか!」と言う。
ゴミの収集場で立ち話をしている近所のおばさんたちの声にも、いら立った。「くだらんことばっかり話しとる。お母さんだって何を言われとるかわからんぞ」。被害妄想も出てきたようだった。
突然に「うわーっ!!」という大声を出すことも、しばしばだった。
世津子さんは、駐車場の持ち主に連絡をした。「あの鉄板の音、何とかなりませんか」。すぐに、音が鳴らないように処置をしてくれた。
しかしそのことも、俊英さんは気に入らなかった。「誰もあの音だけとは言うとらん。エンジンの音もうるさいんや」
それからも、何かにつけ外に向かって怒鳴ることはやめなかった。
世津子さんが「やめてー!」と懇願すると少しだけやむが、しばらくするとまた始まる。
俊英さんは体が大きい分、声も大きい。
「僕はもう決めた。声を出すことにした」
(以下ソースで)
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