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泣く子は餅を一つ多くもらえる
「まずいな、と思いました」30年寄り添った日本人が語る「慰安婦問題」の真実
「挺対協」”嫌韓”を作った組織の30年 #1
文春オンライン 赤石 晋一郎 2020/06/04 (抜粋)
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「慰安婦を利用した。私を裏切って、国民を裏切って、全世界の人々を裏切ってだました」
こう挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した
元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。
韓国メディアでは連日、挺対協と、元代表で先の韓国総選挙で国会議員となった尹美香(ユン・ミヒャン)氏の疑惑が報じられた。
この内部分裂が意味するところは、慰安婦問題が“偽物の人権”を掲げる団体に長らく支配されていたということだ。
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尹美香氏
挺対協の罪は大きい。時にウソの理屈を振りかざし韓国人の中にある反日感情を刺激し、
不条理な発言を繰り返すことで日本人の中に“嫌韓”という意識を根付かせた。
(略)
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記者会見で涙を流す、「慰安婦第1号」とされる金学順さん
(略)
高木「金学順さんの話なんだけど、私たちが聞いた話と他のマスコミに言っている内容が違う。知ってる?」
臼杵「ぜんぜん気が付かなかった。そうなの?」
高木「そうか。もう裁判だし。こちらでなんとかしよう」
慌てました。報道等を確認すると、金学順さんはキーセン学校に通い、キーセンの養父とともに満州で仕事をしていたというのです。
その後、北京に立ち寄ったところで日本軍に捕まり慰安婦にされた、という話が語られていることがわかりました。
まずいな、と私は思いました。
キーセンは日本で言う芸者のことです。キーセンという言葉は、裁判では誤解や偏見を招く可能性があると思ったのです。
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臼杵敬子氏(中央)と元慰安婦(右)、遺族
金学順さんが日本軍に連れて行かれたという鉄壁鎮(てっぺきちん)という場所も中国地図から見つけることが出来ませんでした。
彼女が慰安婦だった期間も3か月ほどであり短い。
私は金学順さんの証言では、慰安婦問題を正しい形で提起するためには、裏付けが弱いと感じた。
しかし、弁護団の方は、顔を出して肉声で被害を訴えることが出来る人は金学順さんしかいないと、原告とすることを決めたのです。
私は提訴後、彼女の証言にあやふやなところがあったので「ウソを言ったらダメよ」と言いました。
でも金学順さんは「私は間違ったことは言ってない」と頑なでした。
(略)
●金学順さんの証言が二転三転したことで……
太平洋戦争犠牲者遺族会の中にはもう一人Aさんという元慰安婦もいました。彼女に私は90年12月に話を聞きました。
証言は詳細でした。しかし、Aさんには養女がいた。
彼女は「養女に自分の過去を話していないので実名を公表することはできない」と言うので、仮名でしか出せなかった。
つまり金学順さんの前にもすでに2人、慰安婦だと名乗り出た女性はいたのです。
私は前述のように不安を感じました。
おそらく金学順さんは、裁判をするにあたってキーセンのことはマイナスになると考え隠したいという気持ちがあったのだと思います。
翌年の1月、宮沢喜一首相(当時)の訪韓により、日韓問題に注目が集まり「私は元慰安婦だった」と申告する人が急増しました。
その中の1人に金田きみ子(軍隊名・日本軍の衛生兵によってつけられた名前)さんがいました。
私は金学順さんを第1号証言者とすることを回避する、という決断をしました。92年6月1日の初公判では、金田きみ子さんに証言をお願いしました。
彼女は慰安婦として7年ものあいだ日本軍に従軍していた女性です。
その証言は明確で、日時や場所など全て裏付けがとれるものばかりで真実相当性が高いと考えました。
金学順さんの証言のブレは、慰安婦問題を語るうえで、後世に大きなシコリを残すことになりました。
発言が二転三転したことで、日本側から「売春婦だった」、「慰安婦問題はなかった」などの酷い言論を誘発する事態となってしまったからです。
(略)