ドイツ帝国の降伏から75年、EUで再び高まる「反ドイツ」感情 [首都圏の虎★]at NEWSPLUS
ドイツ帝国の降伏から75年、EUで再び高まる「反ドイツ」感情 [首都圏の虎★] - 暇つぶし2ch1:首都圏の虎 ★
20/05/09 00:56:26 MlDwskAt9.net
第二次世界大戦が終わった日
 5月8日はドイツ帝国の無条件降伏の日。75年前のこの日、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終わった。

 その10日前の4月28日、ドイツ帝国の総統ヒトラーと、その愛人エファは、ベルリンの総統地下壕で結婚式を挙げた。奇しくも同日、同盟国であったイタリアの独裁者ムッソリーニが愛人ペタッチとともに殺害され、その夜、死体はミラノまで運ばれて、29日、建設中のガソリンスタンドで逆さ吊りにされた。ヒットラーが地下壕でエファとともに自殺したのは、その翌日30日のことだ(戦後、イタリアは戦勝者側)。

 ヒトラーが遺書で自分の後継者に任命していたのが、海軍の大提督カール・デーニッツ(本命のはずだったゲーリングは、アメリカ軍と和平交渉をしようと提案して、ヒトラーの怒りを買っていた)。そこで、デーニッツはバルト海の港町フレンスブルクに政府を移動し、自分がドイツ帝国の大統領となる。

 フレンスブルクというのはドイツの北の果て、デンマークとの境の田舎町で、軍港があった。そのころ、ベルリンは連合軍の激しい爆撃ですでに跡形もなくなっており、首都の機能は失われていた。

 言うまでもないことだが、この時点のドイツは、どこから見てもすでに崩壊しており、とくに東部地域にはソ連軍が侵入し、ドイツの領地は日に日に縮んでいた。しかし、デーニッツの目にはそれが映らなかったのか、ドイツがソ連に占領されることは断固阻止しなければならないと考えていたようだ。

 そこで彼は、西側連合国にだけ無条件降伏を申し出て西部戦線を停戦に持ち込み、その後、東部での対ソ戦を継続しようという計画を立てた。つまり、連合軍を分断できると思っていたらしいのである。そして実際、5月6日にヨードル陸軍大将を全権大使として、連合軍の最高司令部のあったフランスのランスに送った。交渉の相手は米軍のアイゼンハワー元帥。

 ただ、当然のことながら、ソ連を外しての停戦などありえず、交渉は始まる前に瓦解。7日には英軍とソ連軍の立会いの下、ヨードルは無条件降伏文書に調印させられ、家路に着いた(停戦発効は8日)。そして、その日(正確には9日になったばかりの深夜)、スターリンの命令で、ベルリンで再度、ロシア語の降伏文書に今度はカイテル元帥が調印。そんなわけで、ロシアを始め旧ソ連諸国における戦勝記念日は、今でも5月9日である。

 蛇足ながら、デーニッツはこの後もまだ毎日、ヒトラーの使っていたベンツで仮の官邸に登庁し、閣議を開いていた。そして、この茶番は5月23日、連合軍がデーニッツと大臣たちを逮捕するまで2週間続いた。これにより、ドイツは一時的とはいえ国家が消滅したわけだ。

 同年11月に始まったニュルンベルク軍事裁判では、デーニッツも被告席に座ったが、ヨーデルやカイテルとは違って死刑にはならず、禁固10年の刑期満了後、1980年まで生きた。

EUの連帯感が崩壊中
 さて、そんなわけで、今年はあちこちで、終戦75周年記念の大セレモニーが計画されていたが、コロナ騒ぎですべて中止。一部はネットで開催されるというが、厳かさには欠けるだろう。

 ただ、それよりも気になるのは現在の状況だ。一方には、悲惨な戦争の後、75年経ってようやくヨーロッパの平和を勝ち取ったという人々の感慨があり、他方には、直近の思いもかけなかった感染症のショックがある。だからこそEUは、今こそ心を一つにしなければならないはずなのに、よりによって今、連帯感はガラガラと崩れている。

 コロナ危機では、もちろん、ドイツの幾つかの病院がフランスやイタリアの重症患者を受け入れたりしていたが、これらは美談ではあるけれど、困っている国々の苦境を根本的に改善する話でもない。それどころか、こういうアクションにもかかわらず、実際にはイタリアやフランスでは、ドイツに対する反発が高まっているという。

全文はソース元で
5/8(金) 6:01配信
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