20/05/02 22:35:51 TPEmwl/I9.net
新型コロナウイルスへの対応をめぐり安倍政権が発令した緊急事態宣言は、当初の目標だった「5月6日解除」を断念せざるを得なくなった。
1日の政府専門家会議では「全国で1カ月の延長が必要」との方針で意見が一致したと報じられている。
最初に東京など7都府県に宣言を発令した際に安倍晋三首相が自ら掲げた「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせる」という目標を十分に達成できず、結果として宣言延長に追い込まれたのだ。
結果を出せなかった政権自身の責任を、彼らはどう考えているのだろうか。(ジャーナリスト=尾中香尚里)
安倍政権は、国民に対して一方的に義務を課し、痛みを与え、責任を果たすよう求めておきながら、自らが果たすべき責任を果たしたかについての評価が極めて甘い。
自らの施策が効果を上げられなかったために、国民はさらに私権を制限され、大きな痛みを背負うことになるのに、そのことへの痛切な感情が全く感じられないのだ。
筆者は4月2日付の小欄(法的根拠なき「緊急事態宣言」が脅かす民主主義国家 安倍政権が国民のために今すぐやるべきこと)で、緊急事態宣言について「もういっそのこと(宣言を)出した方が、まだ『まし』なのではないか」と書いた。
私権制限を伴う宣言の発令を積極的に求めたいわけではなかった。だが、当時は政府や一部の地方自治体のトップが、外出や大規模イベント開催の自粛の要請を次々と勝手に発出していた。
法律の裏付けもなく、議会のチェックも受けずに、行政による恣意(しい)的な「私権制限」が既成事実化していた。
こうした事態に筆者は強い危機感を抱いた。思いつきのように国民の私権を制限しておきながら、政治はそのことへの責任を誰も取ろうとしないのではないか。
それならば、政府が新型インフルエンザ等対策措置法(新型コロナウイルス対策にも使えるよう、3月に法改正が行われた)に基づく緊急事態宣言を出し、私権制限に対する「国の責任」を明確にした方がまだ「まし」なのではないか、と考えたのだ。
ここで言う「国の責任」とは、私権制限で大きな打撃を受ける国民への経済的な補償である。
補償によって将来への安心感が得られれば、外出や店舗の営業などを自粛しやすい環境が生まれ、感染の拡大を早期に止めることができる。
自粛要請の期間を短く抑えることができ、長い目でみれば経済を守ることにもつながったはずだ。
ところが、安倍首相は「民間事業者や個人の個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と発言し、むしろ「補償は行わない」という正反対のメッセージを強く打ち出してしまった。
たまりかねた一部の地方自治体は、独自に休業補償の施策を用意したが、当然財源が足りない。
自治体側は、政府が緊急経済対策で自治体向けに創設した総額1兆円の臨時交付金に期待した。
すると、今度は西村康稔経済再生担当相が4月13日の参院決算委員会で「休業補償には使えない」と答弁し、さらに追い打ちをかけた。のちに方針転換したが、とにかく「補償」を嫌がる制限の姿勢だけは伝わった。
一方、コロナ関連予算を盛り込んだ初の予算となる2020年度補正予算案は、政権が目玉に掲げた「減収世帯限定の30万円給付」への世論の反発が高まり
「閣議決定後の予算案組み替え」という前代未聞の事態に追い込まれた。「給付対象があまりに狭すぎる」というのが、反発の理由だった。
政権は、野党などが主張していた「全国民への一律10万円給付」を盛り込んで予算案を組み替えた。
しかし、麻生太郎財務相は4月17日の記者会見で「手を上げた方に1人10万円」と発言。自己申告制で「受け取るも受け取らないも自己責任」という姿勢を打ち出し
「必要な人に届くのか」という不安を抱かせた。住民票の世帯主の銀行口座に世帯全員分をまとめて振り込む、という方法も「ネットカフェ難民やDV被害者などは確実に受け取れるのか」という疑念を呼んだ。
補正予算は4月30日に成立した。しかし、組み替えもあり成立が大幅に遅れたことで「この規模ではとても間に合わない」という声が公然と出ている。
「支援策」について、安倍首相は、ことあるごとに「これまでにない規模」を繰り返す。だが、その言葉とは裏腹に、政権から聞こえて来たのは「できるだけ給付を抑えたい」というメッセージばかりだった。
こうした政権の姿勢は、国民が安心して外出自粛や休業要請に応じることを難しくした。その結果が「すでに医療崩壊では」と専門家に言わしめる現在の状況である。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
5/2(土) 6:02配信