20/04/25 22:59:57 YfSYkfhb9.net
2005年に発生した尼崎JR脱線事故で1両目に乗車し、両脚を切断する重傷を負った林浩輝さん(34)=大阪市西淀川区=は15年の間に社会人となり、ハンディを乗り越えて社内で多数の部下を持つ中堅社員へと成長した。
念願だった仕事に打ち込む毎日に「挫折し、苦労した15年間の全てが自分の大きな財産」と穏やかな表情で語る。(名倉あかり)
事故当時は同志社大学2年生になったばかり。大学の最寄り駅で降りた時に改札に近いから、といつものように1両目に乗車した。手すりを持ち、何げなく窓の外を眺めていると、衝撃と同時に足が地面から離れた。
車両が斜めに浮き、マンションに突っ込んだ。「一瞬の出来事だったが、コマ送りで覚えている」
記憶に残るのは、建物のシステム異常を知らせるサイレンの音、充満するガソリンのにおい、10人ぐらいのうめき声-。車両に挟まれた下半身の感覚はなくなり、胸にはガラスが刺さっていたが、約22時間後に救出されるまで決して意識を失わなかった。
救出から約2週間眠り続け、目覚めた時には両脚が切断されていた。「状況は理解できたが、心では受け入れられなかった」。治療のため大学を1年休学し、復学して卒業した。
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