20/04/12 21:34:43 GV08qBDv9.net
「決して人ごとだと思わないで」。新型コロナウイルスに高齢の両親が感染し、父親を亡くした道内の女性は力を込めた。女性は11日、父親の陽性確認からこれまでの日々を北海道新聞の取材に語った。大切な人を失う悲しみに加え、医療態勢の脆弱(ぜいじゃく)さや周囲からの差別、経済的困窮、「感染症で死ぬ」とはどういうことか…。ウイルス感染をめぐり起こる、さまざまな問題や苦悩がにじんでいた。
「もっと早く入院できていたら、父は死ななかったかもしれない」。女性は今も「身震いする」ほどの怒りと悲しみを抱えている。
■感染確認遅れ
同居していた父親の様子が急変したのは、3月上旬。深夜に突然、父親のうめき声が聞こえた。慌ててベッドに行くと、自力で起き上がれない状態だった。熱が39・5度も出ていた。道内は「緊急事態宣言」のまっただ中で、「コロナだ」と救急車を呼んだ。
搬送先はなかなか決まらなかった。ようやく向かった病院でレントゲンと血液検査を受けたが、医師は「コロナじゃありませんね」と言った。ウイルスの感染を調べるPCR検査も受けられなかった。
翌日も39度近い高熱が続いた。「父から『先生は、コロナ大丈夫って言ったよな』と聞かれるのがつらかった」。保健所に何度も連絡したが「医師が違うと言っているんでしょ。コロナの事ばかり考えているとおかしくなっちゃいますよ」と取り合ってくれなかった。
■迷惑恐れ退職
搬送から2日後、別の病院を受診。防護服姿の看護師に検体を取られた。「やっぱりコロナだ。このまま入院させて」と祈ったが「外出しないように」とだけ言われ、自宅に帰された。
次の日、陽性と連絡があった。自宅前に救急車が止まり、その後、防護服姿の保健所職員が現れ、近所に感染を知られた。
道の発表では職業を伏せ、居住地も自治体名を出さないよう頼んだ。だが女性や女性の夫の職場の情報はすぐに周囲に広まり、職場からは「風評被害が出ている」と言われた。「親族や仕事場に迷惑をかけてしまう。もう仕事を続けられない」と退職した。
入院した父親は日に日に弱っていった。3月下旬、医師から「もう最後だと思う。あなたも危ないけど会うかい」と聞かれ、防護服を着て3時間だけ面会した。父親を元気付けようと、ラップでくるんだ携帯電話越しに、親戚に「頑張れ」と声をかけてもらった。苦しそうに「うん、うん」とうなずく父親。その体にじかに触れることもできない。「何も心配ないから。ゆっくり休んで」と声をかけ続けた。
家に帰り、着ていた服を全て捨ててお風呂に入った時、病院から電話が来た。「息を引き取りました」。父親の後に感染が分かって別の場所に入院した母親には、死を告げられなかった。「体調がさらに悪くなるのが心配だった」からだ。
■心ない言葉も
感染予防のため、父親をひつぎ越しに抱いた。「死なせてごめんね」と何度も言った。お骨は夫と2人だけで拾った。
しばらくして、親戚や親しい友人だけに父親の訃報を知らせた。心配してくれた人が居た一方で、「怖いから、もうあなたには会えない」「おまえの家には、1年は行けない」など、心ない言葉を投げかけられた。
女性も夫もPCR検査を受け、いずれも陰性。それでも「自分が加害者になるかも」と、今も自宅からほとんど出ない。夫も「万が一にも迷惑をかけられない」と休職を続け、経済的にも厳しい日々が続く。
家に居ると、大好きな父親を失ったのは夢じゃないかと思う。父親がどこで感染したかも分からないままだ。「こんなに何もかも苦しいと思わなかった」と女性。「心は負けていられない」と何とか自分を奮い立たせる。同じ苦しみは、誰にも味わってほしくない。(川崎学)
04/12 11:00 更新
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