20/01/14 09:22:50 7URs+DAb9.net
なぜ、意識高い系はスタバで「MacBook」を広げたがるのか。あえて、あそこで仕事をする意味はあるのか。本当に効率的なのか。なぜ、彼らをみているとイライラしてくるのか。「プレジデント」(2020年1月31日号)の特集「すぐにやる人、グズな人」より、記事の一部をお届けします―。
■そもそもスタバで仕事はしやすくない
米シアトル発のスターバックスは、「そこそこの高級感」「店内の清潔さや快適性」「そこまで高くはないが安くもない絶妙な料金設定でうまい珈琲を出す」という主に3つの理由で、もはや社会主義国にまで浸透した世界的チェーン店であることは論を俟たない。筆者も、海外旅行をするたびにその国の首都や主要都市には、その発展度合いの高低を問わず必ずスターバックスの店舗を見つける。
ターゲット層はいずれも中産階級以上で、店内の造りはどの国でもほとんど変わらない。特に酒を公然と飲むことがないイスラーム教国では、酒の代わりに煙草と珈琲が重宝されるので、スタバが怒濤の出店攻勢をかけている。代表的なのはマレーシアとインドネシア。マレーシアにはすでに250店舗のスタバがあり、同国では更なる展開を想定している。
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同様に世界最大のイスラーム人口を誇るインドネシアには、300店舗以上のスタバがあり、こちらも破竹の勢いで拡大中である。現在日本には約1500店のスタバがあるが、こういった大人口国での躍進から、いずれ店舗数で追い抜かれるのは自明であろう。
しかしながら、このような「国際共通規格」たる世界各国のスタバと、日本のスタバには、決定的な違いがある。店内にいる客が、座席でマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる光景があるかないかが、決定的な差異である。筆者は、韓国によく行くが、ソウルには本当に至る所にスタバがある。韓国内でのスタバ店舗数は1000を超えるが、国の人口が日本の半分以下なのだから、その密度は日本よりも濃い。
■スタバは何かの「作業・仕事」をする場所ではない
しかしソウルのスタバでは、日本のようにマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる人間など、私は見たことがない。基本的に店の雰囲気を楽しみながら友人同士で会話し、まったり珈琲を飲む、という様態が普通で、せいぜいがスマホをいじっていたり、静かに音楽を聴いていたり、などである。まかり間違ってもスタバは何かの「作業・仕事」をする場所ではない。
そもそも、そういうふうに店舗が設計されていない。にもかかわらず、日本ではなぜかスタバが「作業・仕事」の空間として位置づけられ、一人客がひけらかすようにマックブックを広げてWi-Fiに繋ぎ、何かを必死に打ち込んだり凝視したりしている。こんな異様なスタバの光景を見るのは世界広しといえども日本だけではないか。
このような日本特異のスタバ利用形態が生まれたのはなぜか。それは「ノマドワーカー」を2010年ごろ、先駆的に提唱した実業家・安藤美冬の存在が大きい。「ノマド」とは遊牧民を意味し、安藤はメディアや著書で「遊牧民のように、固定されたオフィスで仕事をするのではなく、カフェなどで自由に行うワークスタイル」を新しい働き方、として喧伝した。
これが一部の、都市部に住む「準」IT系フリーランスや「準」頭脳労働者に爆発的に浸透した。スタバでマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる光景の源流は、間違いなく安藤の提唱したノマドワーカーである。しかし安藤のノマド関連の著書を読むと、何のことはない、「出先で仕事をする人」を単にノマドワーカーという当世時流の横文字に置き換えただけで特段新しい仕事の仕方ではない。
■“意識高い系”は見栄と虚栄心の塊
原田眞人監督の映画『クライマーズ・ハイ』で、汗だくで泥まみれになった新聞記者が航空機事故現場から予備原稿を、本社に電話して一文字ずつ発声して送信する場面がある。映画の舞台は1980年代なので、Wi-Fiは存在せず、家庭用ファクスも未普及だったから、情報を伝達するのは原稿を直接電話口で読み上げるしかない。要するにこれこそ「出先で仕事をする人」=ノマドそのものである。が、安藤の言うノマドは、汗臭い新聞記者の出先での仕事を指すのではない。
あくまで東京都内の、空調の効いたカフェ=スタバで、そして洗練されたスタイルで、いかに颯爽とマックブックを操作するか、それこそが要諦とされている。
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1/14(火) 9:15配信
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