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【教えて!】あなたの「家紋」は? 知らない人増え”危機” 背景に文化全体の揺らぎ/兵庫・丹波篠山市
11/24(日) 9:00配信
知ってますか? あなたの家の家紋―。バリエーションも含めれば2万種近くもあるといわれる日本独自の紋章「家紋」。戦国武将や有名大名のみならず、世界的に見て名字が非常に多い日本には大半の家に存在する。しかし、研究者によると、自分の家の家紋を知らない人が増え、このままでは一般社会から消えてしまう恐れもあるという。日本固有の文化に危機が迫っている。そもそも家紋とは何か。危機の原因は何なのか。
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「家紋の発祥は平安後期とされます。まず、世襲する領地や財産ができ、ほかの家と区別するために名字が増えた。そして、公家の西園寺家が自分の乗る牛車がすぐわかるように印(巴紋)をつけた。これが公家の間で“流行った”わけです」
そう話すのはネットサイト「家紋ワールド」を運営する研究者で、日本家紋研究会理事の田中豊茂さん(66)=兵庫県丹波篠山市。田中さんに教えを請いながら家紋の歴史をひも解いた。
平安後期に流行した家紋は牛車だけでなく、衣服や調度品にも使われるようになる。
そして平安末期から武家が台頭し、鎌倉時代に入って武家社会になると、武士たちは戦場での武功をアピールすることや敵味方を識別するため、武具や旗などに家紋を入れるようになった。そして、武功に対する恩賞として領地が与えられたり、また、領地替えがあったりしたことで、武家とともに家紋も爆発的に全国に広まった。
ちなみに公家の家紋は雅な印象。武家は武骨で目立つものが多いそう。
江戸時代になると何といっても「この紋所が目に入らぬか」でおなじみ、徳川将軍家の「三つ葉葵」が家紋ヒエラルキーの頂点に立つ。権威の象徴でもあり、同時に憧れでもあったようで、庶民の中でも歌舞伎役者や遊女、浪人など元は武家の流れを汲む人々も家紋を使いだした。
そして明治。武家は衰退したものの、庶民も名字を名乗ることになり、特に禁止されなかった家紋が再び浸透した。家紋は常に日本の歴史とともにあった。
都市部出る人増え、忘れられ
明治、大正、昭和、平成、そして令和を迎えた今、自分の家の家紋を知らない人が増えてきている。
田中さんによると、家紋という文化が色濃く残っていたのは地方部。しかし、往来が自由になるにつれ、田舎を離れて都市部で暮らし始める人が増える。そんな家庭が世代をへていくうちに、名字は伝わっても家紋は忘れられていったのだという。
背景には、刀や調度品など家紋を入れて子孫に引き継ぐ “モノ”が減った現実がある。
例えば着物。洋装が基本になり、大人で家紋入りの着物を着るのは結婚式くらいになった。「着物文化」の衰退は家紋の危機に密接に関係している。
さらに近年では、「継ぐ人がいない」「管理が大変。費用も掛かる」などの理由で、家紋が刻まれることもある墓の「墓じまい」が進む。墓には家紋以外にも先祖の情報も多く記されているため、自身のルーツをたどることがさらに難しくなる。URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
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★1 2019/11/24 22:32:38.32
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