【奈良】唯一の遺品、75年ぶり返還 インパールで戦死・辰巳さん、英兵の孫から日章旗at NEWSPLUS
【奈良】唯一の遺品、75年ぶり返還 インパールで戦死・辰巳さん、英兵の孫から日章旗 - 暇つぶし2ch1:
19/10/15 19:39:21 VsTURqRs9.net
イギリスから届いた日章旗を食い入るように見つめる辰巳善昭さん(左)=奈良県大淀町で、萱原健一撮影
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出征前に撮った辰巳善次さんの写真=奈良県大淀町で、萱原健一撮影
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 太平洋戦争でインパール作戦に参加し、23歳で戦死したとされる大淀町出身の旧陸軍上等兵、辰巳善次さんが戦地に持参した日章旗が11日、75年ぶりに遺族へ返還された。参戦した英兵の子孫が保管していた。善次さんの甥(おい)に当たる辰巳善昭さん(66)=同町=は「この旗が唯一の遺品。しっかりと供養したい」と話した。【萱原健一】

 厚生労働省などによると、善次さんは旧日本陸軍歩兵第67連隊に所属し、1944年2月にビルマに進出。同連隊は「無謀な作戦」で多数の死者を出したインパール作戦に参加しており、善次さんは44年6月21日にインド・サタルマイナで亡くなったとされる。

 日章旗は、戦地から持ち帰った英兵の孫ジョージ・プリチャードさん=ロンドン在住=が保管していた。今年5月20日に善昭さん宅に「旗を返還したい」という手紙が届いた。イギリスからの突然の手紙に善昭さんは「いたずらでは」と思ったが、厚労省などに調査してもらい事実と判明。同様の手紙は、大淀町役場や同町内の二つの寺、高取町の壷阪寺にも届いていたという。

 旗には「祈武運長久 辰巳善次君」と書かれ、寄せ書きには善昭さんの祖父や近所の知人の名前もある。家には出征直前に撮ったと思われる善次さんの写真が残っているが、戦地から遺骨の代わりに戻ってきたのは石ひとつと名前が書かれた紙だけで、遺品は一つもなかった。

 この日、町役場で旗を受け取った善昭さんは茶色くくすんだ旗を食い入るように見つめ、寄せ書きの人の名前を一人一人確認していた。「イギリスで保管されていた方にもお礼を言いたい」と話した。

 ■ことば

インパール作戦

 終戦前年の44年3~7月、日本軍がビルマ(現ミャンマー)から、イギリス軍の拠点となっていたインド北東部の都市インパールの攻略を目指した作戦。険しい山岳地帯を進む計画は当初から補給面に問題を抱え、敗北した日本軍は戦死に加え飢えや病気で多数の死者を出し、撤退ルートは「白骨街道」ともいわれた。

毎日新聞 2019年10月12日
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