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『古事記』によると、天照大神は数多くの自然神の中での最高神である太陽神です。天照大神の孫のニニギノミコトは大神に、地上を統治するように命令されて、降り立ちます。これを「天孫降臨」といいます。
そして、ニニギノミコトの曾孫が神武天皇です。神武天皇は紀元前660年に即位したとされますが、『古事記』や『日本書紀』を典拠とする、この時代の十数代の初期天皇は、実在が疑われています。天皇として実在したのは、紀元前97年に即位した第10代崇神天皇から、または、270年に即位した第15代応神天皇から、それよりももっと後の時代とする説があります。
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最高祭祀者といえば、世界的に有名なのはローマ教皇。天皇はその立ち位置に近いとされることがあります。
ローマ教皇はカトリック教会の最高祭祀者である点で、確かに天皇と共通点があります。しかし、根本的に両者はその内実において、異なる存在です。
まず、教皇位の継承は天皇と違い、世襲ではありません。各地のカトリック教会を代表する枢機卿(カーディナル)たちが「コンクラーベ」(ラテン語の「鍵がかけられた」の意)という選出会に集まり、外部と隔離された状態で、教皇を選挙します。
天皇は神の子孫とされ、世襲です(繰り返しますが、本当に神どうかは別として)。教皇は神の子孫でもなく、神の子なるイエス・キリストの子孫でもありません。教皇はローマ・カトリック教会の主座であり、キリストの12使徒の1人ペトロの後継者です。
キリストの死後、ペトロがローマにやってきて、この地に教会を開きました。当初、ローマ帝国の迫害を受けながらも、ローマ教会は信徒により守られ、発展していきます。ローマ帝国が4世紀にキリスト教を公認して以降、ローマ教会の地位が確立し、その主座である教皇の地位も認知されました。教皇は使徒ペトロに由来する特別な起源を持つことから、キリスト教世界の指導者となります。
5世紀半ばの教皇レオ1世は「自分の声はペトロの声である」と述べ、使徒の代理人(ラテン語:Vicariusウィカリウス)を自認します。さらに、同世紀末には、キリストの代理人を自称するようにもなります。こうして、教皇の位は歴代引き継がれ、今日まで続きます。
神の子孫とされる天皇位が世襲によって引き継がれるべきものであるのに対して、イエスや使徒の代理人とされる教皇は世襲によって引き継ぐべき神性を持ちません。代理人は代理人でしかなく、有徳者でありさえすれば、赤の他人でもよいということです。祭祀王=プリーストキングという言葉のイメージから、天皇が教皇に例えられることが多いのですが、「神の子孫」と「代理人」は自ずと異なる存在です。
では、イスラムの最高権威者であったカリフはどうでしょうか。カリフもまた代理人です。カリフはアラビア語の「ハリーファ」の英語読みで、「代理人」や「後継者」の意味があります。預言者ムハンマド(英語名:マホメット)の代理人であるカリフはあくまで代理人にすぎないため、必ずしもムハンマドの血統を必要としませんでした。
■神道と天皇
神の子孫とされる天皇は教皇やカリフなどの代理人とは異なり、血統の原理によって終始、貫かれる存在です。歴史上、世俗の有力者が教皇やカリフの権威に挑み、これを排斥したり、簒奪(さんだつ)したりしました。日本では、源平の武人政権から徳川の江戸幕府に至るまで、いかなる世俗政権もその地位を侵すことはありませんでした。それは天皇の持つ神性の血統が尊重されたからです。中国の皇帝が強大だとしても所詮、俗人(俗権)にすぎず、その地位は簡単に簒奪されました。
歴史上、天皇家が神話というストーリーを駆使して、自らの地位の神性や意義、正統性を周知徹底させて、定着させた戦略は極めて効果的であったと言えます。
天皇家の祖神である太陽神・天照大神をはじめとする自然神を、日本人は民間信仰として広く受け入れ、神々を祭るために神社を各地に建立しました。これが神道です。
日本人は農耕民族であるため、自然によって生かされているという意識を強く持ち、自然を神として畏敬し、崇めました。そして、これらの自然神を祭る存在が天皇であり、天皇を中核として神道による自然信仰が普及しました。
キリスト教やイスラム教などの万物の創造主たる絶対神を崇拝する一神教と異なり、神道はさまざまな自然の神を崇拝する多神教です。緩やかにつながる神々と人間との間の仲介者として天皇が存在するのです。(続きソース)
10/13(日) 5:35配信
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★1:2019/10/13(日) 19:52:21.74
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