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大型建物の復元CGを描いた看板が建つ伊勢遺跡=滋賀県守山市伊勢町で、礒野健一撮影
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守山商工会議所青年部が制作した「邪馬台国近江説 伊勢遺跡からはじまる物語」の一部
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なるほドリ 守山市で「邪馬台国(やまたいこく)近江説」というのを聞いたんだけど、どういう説なの?
記者 邪馬台国は2~3世紀頃に日本に存在し、女王・卑弥呼(ひみこ)が統治していたとされる古代国家です。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に統治体制や習俗についての記述があり、その場所については古くから「九州説」と「畿内説」とで論争が続いています。そんな中、「近江説」は弥生時代の集落跡が発見された伊勢遺跡(守山市伊勢町)が、邪馬台国だったというものです。
Q 近江は畿内に隣接するから、畿内説と同じということなのかな?
A 邪馬台国畿内説の有力な候補地は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡と考えられています。近江説は残念ながら全国に数多くある異説の一つです。
Q そもそも伊勢遺跡とは?
A 1980年に発見された弥生時代後期の遺跡で、92年に大型建物の柱跡が見つかり、全国的に注目を集めました。その後の調査で、楼観(ろうかん)と呼ばれる2階建ての建物や、祭殿と考えられる建物など、計13棟の大型建物跡が発見されました。2012年には、日本で「国」が形成される過程を知る上で重要な遺跡として、国史跡の指定も受けました。
Q 大きな遺跡なんだね。邪馬台国だと考える理由は?
A 大型建物跡が多く見つかったことに加え、伊勢遺跡から北東約6キロの大岩山(野洲市辻町)で、多くの銅鐸(どうたく)が見つかっていることが挙げられます。祭祀(さいし)に用いられたとされる銅鐸は、近畿地方を中心に出土する「近畿式」と、東海地方を中心に出土する「三遠式(さんえんしき)」がありますが、大岩山からはその両方が見つかっています。このことから、当時の伊勢遺跡周辺が東西交流の重要拠点であり、邪馬台国のような大国の存在が推定できるというのです。
Q それだけの理由で邪馬台国が守山にあったと言っていいの?
A 守山市教委文化財保護課によると、伊勢遺跡で新発見が相次いだ1990年代当時、地元ではその可能性を大いに期待したそうです。しかし、その後の研究で、伊勢遺跡は魏志倭人伝が邪馬台国のことを記述した時期より古いことがわかり、今ではその可能性は低いと考えられています。
Q 残念だなあ。地元の人もがっかりしてるんじゃない?
A 学術的には劣勢な近江説ですが、地元自治会や市商工会議所は、歴史ロマンを絡めて町おこしをしています。毎年秋には、弥生時代の食べ物や生活を体験する「遺跡まつり」を開くほか、今月27日にある「もりやま夏まつり」では、恒例の「卑弥呼コンテスト」も開かれます。
Q まだまだ盛り上がっているね。
A 市商議所青年部は今春、近江説をマンガで紹介する冊子「邪馬台国近江説 伊勢遺跡からはじまる物語」(A4判カラー8ページ)を発行しました。担当者は「邪馬台国が守山にあったかもしれないという話を知って郷土に誇りを持ち、地域の活力に変えていければ」と話します。商議所に問い合わせれば、冊子は無料でもらえます。
Q 伊勢遺跡の現状はどんな様子なの?
A 現在は全て埋め戻され、幾つかの説明看板が立つだけです。詳細は決まっていませんが、市は遺跡周辺の用地を買収するなど、本格的な史跡公園の整備を考えています。大型建物群が復元される日が来るかもしれません。<回答・礒野健一(草津駐在)>
毎日新聞 2019年7月17日
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