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今春、生駒聖書学院に入学した兼光伸一さん(左)と中尾博章さん
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生駒山(奈良県)のふもとに位置するキリスト教の神学校「生駒聖書学院」に今春、2人の元ヤクザが入学した。一人は、山口組直系暴力団(2次団体)の舎弟頭(しゃていがしら)だった兼光伸一(本名・金伸一)さん(58)。舎弟頭は組織内ではナンバー3の地位で、兼光さんは3次団体の総長でもあった。もう一人は、ヤクザ歴30年の中尾博章さん(49)。無期懲役の受刑者だけでも200人ほどが収容されている徳島刑務所などで、通算15年服役した経験がある。
共に10代からヤクザの道に足を踏み入れた2人が、一体どのようにして聖書と出会い、イエス・キリストを信じ、そして今、牧師を目指して神学校で学ぶようになったのか。入学から1カ月余りがたった5月中旬、生駒聖書学院を訪れ、2人に話を伺った。
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■元ヤクザの父のもと「朝鮮部落」で生まれる
兼光さんは1960年、当時は「朝鮮部落」と呼ばれていた東京のある地域で生まれた。父親は元ヤクザのとび職で、姉と弟がいたが、小学5年の時に父を亡くす。家は非常に貧しくなり、中学2年の夏ごろからは学校にも行かなくなった。東京の歌舞伎町で不良高校生を捕まえてはどう喝し、遊びのためのお金を稼ぐという生活をしていたという。16歳で少年院に入るが、ろくに学校にも行っていなかったため、漢字も書けないほどだった。皮肉にも、本格的に勉強を始めたのは少年院の中だった。しかしすでにその頃から、将来はヤクザになると心に決めていたという。
18歳で本格的なヤクザとなった。2つの暴力団に所属したが、いずれも幹部と反りが合わず、指を詰めてやめた。そして32歳で、後に山口組直系となる暴力団に所属するようになる。その暴力団は兼光さんが移籍した後、組織が拡大し、千人くらいの構成員を要するようになり、「歌舞伎町の一翼を担っていた」という。これまでの人生で、少年鑑別所に3回、少年院に1回、拘置所に7回、刑務所に5回も収容された。
■クリスチャンの妻との出会い
10年前、あるクラブで後に妻となる智姫(ちひ)さんと出会った。韓国の美術大学を卒業した智姫さんは、子ども向けの絵本について学ぶため来日した留学生だった。日中は学校に通い、夜は生活費や学費のためにアルバイトをしていたのだった。
ソウル生まれの智姫さんは、小さい頃から教会に通っていた。日本に留学中は、教会から離れていたこともあったが、心の中にはいつも神様への思いがあったという。日本の学校を卒業後、兼光さんと一緒に住むようになるが、最初は「別の世界の人」と結婚までは考えていなかった。しかし、お腹に新しい命が宿っていることが分かる。「子どもを下ろすこともできないと思い、何も隠さず母に伝えました」。突然の妊娠の知らせ、さらに相手がヤクザであることを聞いた智姫さんの母親は、3日間眠れなかったという。しかし、祈りの中で「とりあえず会ってみなさい」と神様が言われているように感じた。兼光さんに実際に会った母親は、小さい頃からの境遇や人柄を理解してくれ、最終的に結婚を認めてくれた。
当時の兼光さんはある民事訴訟を抱えていた。訴えられたわけではなく、10億円を超える債権者として、ある人を訴えていたのだ。事業のために巨額の資金を出資したのだが、相手は約束を守らず利益を独り占めし、電話にも出ない。裏切りへの怒りと憎しみで、当時は「精神的におかしかった」と話す。そんな時にもそばにいてくれた智姫さんの存在が、大きな支えになった。
■3度の聖書の差し入れ
※省略
■「最初の一節で本物の神様だと思った」
半信半疑でページを開いた聖書だったが、「最初の一節で本物の神様だと思った」と兼光さんは言う。「進化論を含め、人間がどこから来たのかはっきりと分からないのが現状じゃないですか。その中で聖書は最初から『初めに、神が天と地を創造した』と宣言している。もうここに答えが出ているじゃないかと。鳥肌が立ちました」
その後、元ヤクザの牧師らによる伝道団体「ミッション・バラバ」の本も差し入れられ、読んでみた。しかし「自分とは少し違うと思いました。彼らはみんなヤクザをすでにやめてからクリスチャンになった人たちで、自分は現役。自分は同じようにはなれないと思いました」という。だがそれでも「真の神に悔い改めれば、罪は赦(ゆる)される」と書かれた部分だけはすっと入ってきた。それから聖書を真剣に読むようになった。(続きはソース)
2019年5月23日21時18分
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