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池袋事故で加熱する"上級国民"叩きの深層
鬱積する「不公平感」のマグマ
2019.4.29
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◆「ハイパーエリート」だから逮捕されないという憶測
母子2人が死亡し、8人の重軽傷者を出した池袋自動車暴走事故。犠牲となった母子の遺族が記者会見を開き、憔悴しきった様子でその胸中を吐露する様子は、正視に堪えないほど悲痛で切実なものだった。
事故を起こした無職の男性は東京大学を卒業して官僚となり、企業の重役を務め、さらには勲章受賞者でもある、いわゆる「ハイパーエリート」だったことが判明しており、そのことが現行犯逮捕されなかったことに影響しているのではないかという憶測が事故の直後から急速に広まっている。上記男性の経歴自体は真実だが、あたかも「超法規的な不逮捕特権(刑罰回避特権)」が存在するかのように断じられているのはいささか飛躍している。
◆「上級国民」というワードはどこから来たか
※中略
事故を起こした男性のことを「上級国民」と多くの人が呼ぶようになっているが、もともと「上級国民」とは匿名掲示板「2ch(現:5ch)」のなかにある「嫌儲板」の人びとが、自分たちとはかけ離れた人生を送っている富裕層やエリートたちを侮蔑して(また身分の差はないとする社会の前提を嘲笑する向きも含めて)用いたのが発祥だった。
今回の事件に際して、多くの人が当たり前のように「上級国民」というワードを使用しているさまには驚きを禁じ得ない。社会に不満を持つ層が集まるインターネット・コミュニティの片隅で局所的に用いられてきたにすぎなかったことばがここまで浸透力を持つとは予想だにしていなかったからだ。
◆この社会に蓄積する「不公平感」というマグマ
「上級国民」という、身分差別を彷彿とさせるような語が抵抗なく広がっていること、またこのことばがある種の「私的制裁の正当化の方便」として用いられていることから、この社会には音をたてずに「不公平感」というマグマが蓄積しているのではないかと考えさせられる。
なんらかの理由で暴走した自動車が無辜の市民を死傷する事故はこれまでに何度もあったが、今回ほどの「正義の群衆」をつくりだしてはいなかった。加害者がエリートであったこと、犠牲者が無辜の市民であり、命を落としたのが幸せな暮らしを送る母子であったこと、そしてそのエリートが他の事故とは異なって逮捕されなかったように見えたこと、そのすべてがこの「不公平感のマグマ」を爆発させる起爆剤として作用したように思えた。
たとえば被害者が幸せな母子ではなくて身寄りのない高齢男性などであったならば、おそらくこれほどの反応は惹起されなかったはずだ。
◆「特別な彼らと、何者でもない私たち」
「今回はただ偶然に炎上案件となっただけ」だとはとても思えない。「エリートはズルをして地位も富も名誉も手に入れている」という感覚をおそらく多くの人が暗黙裡に内面化しており、その認識と整合的なストーリーラインが池袋自動車暴走事故で再現されてしまったように見える。エリートはズルをしている。それはカネや権力の話だけではない。こうしてなにか罪を犯したときにだって特別扱いされているのがなによりの証拠だ―と。それはまさに「特別な彼らと、何者でもない私たち」という対比構造にフィットする様相だった。
「上級国民」というワードをすんなり受け入れてしまったからといって、社会が分断され、階級闘争的になっていると結論づけることはできないが、エリートたちがカネも権力も、そしてなにより「ただしさ」もほしいままにしてしまい、非エリートたちは(直接にそういわれなくても)自分たちは劣っていて、弱く、そして間違っているかのような感覚が広まっていることは否定できないようにも思える。
◆罵声を浴びせて「自分は無力な存在ではない」と肯定する
※以下省略、続きはリンクからどうぞ
★1の日時 2019/05/01(水) 00:42:37.92
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