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2019.03.01 13:35
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【ソウル聯合ニュース】日本による植民地支配に抵抗して1919年に起きた独立運動「三・一運動」から100年を迎えた1日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は政府主催の記念式典で演説した。以下は演説の全文。
尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、100年前のきょう、われわれはひとつでした。3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。
午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を行い、タプコル公園では約5000人が一緒に独立宣言書を朗読しました。
たばこをやめて貯蓄し、金はかんざしと指輪を差し出し、さらには切った髪を売って国債報償運動に加わっていた労働者や農民、婦女子、軍人、車夫、妓生、と畜業者、作男、零細商人、学生、僧侶など平凡な人々が三・一独立運動の主役でした。
その日、われわれは王朝と植民地の百姓から、共和国の国民へと生まれ変わりました。
独立と(植民地支配からの)解放を超え、民主共和国のための偉大な旅路を歩み始めました。 100年前のきょう、南も北もありませんでした。
ソウルと平壌、鎮南浦と安州、宣川と義州、元山まで、同じ日に万歳の声がわき上がり、全国あちこちに野火のように広がっていきました。
3月1日から2カ月間、南北韓を分かたず全国220の市・郡のうち211の市・郡で万歳デモが起こりました。
万歳の声は5月まで続きました。
当時、朝鮮半島の人口の10%にもなる約202万人が万歳デモに参加しました。
約7500人の朝鮮人が殺害され、約1万6000人が負傷しました。
逮捕・拘禁された人は実に4万6000人ほどに達しました。
最大の惨劇は平安南道の孟山で起きました。
3月10日、逮捕・拘禁された教師の釈放を要求しに行った住民54人を日帝は憲兵分遣所内で虐殺しました。
京畿道・華城の提岩里でも教会に住民を閉じ込めて火を放ち、幼い子どもも含めて29人を虐殺するという蛮行が起きました。
しかし、それとは対照的に朝鮮人の攻撃で死亡した日本の民間人はただの一人もいませんでした。
北間島・竜井や沿海州のウラジオストクで、ハワイとフィラデルフィアでもわれわれはひとつでした。
民族の一員として誰でもデモを組織し、参加しました。
われわれはともに独立を熱望し、国民主権を夢見ていました。
三・一独立運動の声を胸に収めた人々は、自分と同じ平凡な人々が独立運動の主体であり、国の主人だという事実に気付き始めました。
そのことが、より多くの人の参加を呼び込み、毎日のように万歳を叫ぶ力になりました。
その最初の結実が、民主共和国の根源である大韓民国臨時政府です。
大韓民国臨時政府は臨時政府憲章第1条に三・一独立運動の意義を込めて「民主共和制」を明記しました。
世界史上で憲法に民主共和国を明示した初の事例でした。
尊敬する国民の皆さん、親日残滓(ざんし)の清算はあまりにも長く先延ばしにされた宿題です。
誤った過去を省察するとき、われわれは共に未来に向かって進むことができます。
歴史を正しくすることこそが、子孫が堂々とできる道です。
民族精気の確立は国家の責任であり、義務です。
※以下省略