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◆ 50代ひきこもりと80代親のリアル 毎年300万円の仕送りの果て
「8050問題」。
ひきこもりが中高年に達し、親の高齢とあわせて深刻な社会問題として浮上している。
高度経済成長期とバブル期を経た家族の、ひとつの行き着き先がここにある。
ライターの黒川祥子氏がレポートする。
首都圏近郊、高度経済成長期に山を切り開いて開発された、高級住宅地。
その一角に、伸び放題の庭木に覆われた家がある。
1975年に大手企業の営業職に就く父(当時43歳)が、1千万円かけて、設計にこだわって建てた注文住宅だ。
1階には15畳のキッチンダイニング、2階のベランダは15畳という贅沢さ。
65坪の敷地に約40坪の建物と、庭も十分に広い。
ここで専業主婦の妻、15歳の長男、13歳の長女、9歳の次女の一家5人が「理想の暮らし」を始めたのだ。
それから43年、無人となったその家に昨年夏、私は足を踏み入れた。
土足で入るしかない荒れた室内。ツーンと鼻腔を突く、饐(す)えた臭い。
カビが生え腐ったダイニングの床。
ぼろぼろの壁や天井、1階も2階も床が朽ち、不気味な色に変色している。
2013年から、一家の次女(52)が一人で占拠していたその家は、たった5年間で夥(おびただ)しいごみ屋敷となり、ごみが運び出された後であっても、吐き気がこみ上げる空間と化していた。
次女は20代後半から自宅にひきこもり、母(91)と姉(56)に暴力をふるうため、2人は03年にアパートに移り、10年後、父親も次女との生活から逃げ出し、今は3人で3DKのマンションで暮らしている。
高度経済成長期とバブル期をエリートサラリーマンとして駆け抜けた父親は、家や子どものことは専業主婦である妻に任せ、接待飲食やゴルフ、旅行などに明け暮れてきた。
早朝に家を出て帰宅は深夜という、当時の父たちに共通する典型的な“モーレツ社員”。
しかも、年収1500万円という高所得者だ。
教育熱心な妻は女も手に職を持つべきだという考えで、音楽で身を立てさせようと、2人の姉妹に幼い頃から楽器を習わせた。
マイホームに「音楽室」を作ったのは、妻の強い意向だ。
長女は挫折し、それが原因でうつ病を患った。
一方、次女は音楽講師の資格を得て、全国に教室を持つ会社に就職し、教室を任されたものの、独善的な指導法で生徒が離れ、会社ともめて20代後半に辞職。
以降、社会との接点を一切、断った。
次女について、父親が外部に助けを求めたのは、それから20年後のこと。
妻の介護を担う「地域包括支援センター」の保健師のアドバイスで、生活困窮者自立支援事業の窓口に駆け込んだ。
「妻にがんが見つかり、長女の治療費もかかり、株を売り、退職金でしのいできましたが、お金が底をつきました。年金だけでは、暮らしようがない」
次女を家から出し、家を売って当座の金を作るのが、一家が生き延びる唯一の道だった。
きらびやかな装いで相談室に現れる次女は、支援員に訴えた。
「私が働けないのは、家族のせいなんです。だから私は働かなくてもよくて、家族が私を食べさせるのは当然のことなんです。私の20年を返してほしい」
次女は父親に、月5万円の仕送りを要求し、食事は父親名義の携帯でケータリングを取り、父親が代金を支払っていた。
父親は、家族が次女にいかに苦しめられてきたかを訴える。
「母や姉に暴力をふるう。怒って興奮すると一晩中でも怒鳴り散らす。だから、2人を逃がしたんです。僕は次女と暮らしていましたが、台所も風呂も使わせてもらえず、一晩中説教される生活に耐えきれず、家を出ました。家賃だけで、退職金の1千万円を使い果たしました」
父と娘─両者の言い分は一切、交わらない。
「私は親の決めたことをやらされ、振り回されてきたんです。父に道を押し付けられてきた。こうなったのは、親のせいです」
モーレツ社員で“イケイケ”だった父親は家庭の中で、強い父=専制君主だったのではないか。
だから次女もピアノ教室で専制君主のように振る舞った。それがこの家の「文化」だった。
強さに立ち向かえなかった姉が心を病んだのも合わせ鏡だ。
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AERA 2019/2/12(火) 7:00
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