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【社会】眼前に国宝、驚きの博物館 県名発祥の地、“埼玉古墳群“ のスゴさ 行田市 - 暇つぶし2ch1:次郎丸 ★
19/01/27 13:15:37.99 ODzqB9gh9.net
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国宝の金錯銘鉄剣がこんなに間近に見られる=埼玉県行田市の県立さきたま史跡の博物館で
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上空から見た埼玉古墳群の全景=本社ヘリから小川昌宏撮影
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埼玉古墳群の配置図

 県名発祥の地、行田市埼玉(さきたま)の国指定史跡「埼玉(さきたま)古墳群」。
国内最大規模の円墳など大小九つの古墳が密集し、周辺を整備した「さきたま古墳公園」内の「県立さきたま史跡の博物館」には社会科の教科書に載る金錯銘(きんさくめい)鉄剣など国宝の数々がガラスケースに飾られている。
「えっ、こんな間近で国宝の実物が見られるの?」。アクセスやPRが向上すれば今でも行列ができるのではと思われるが、こんな価値あるものをじっくり見られるのも「埼玉コレがスゴい」証しだ。【松下英志】

 古墳群は遅くとも江戸時代には存在が知られ、1938年に国指定の史跡に。66年、国の「風土記の丘」事業開始に伴い発掘や整備が進んだ。鉄剣は68年に古墳群の一つ、稲荷山古墳で出土し、全長73.5センチ。10年後の78年、保存処理のためX線撮影したところ「ワカタケル大王(雄略天皇)」など115文字が金線で埋め込まれていることが判明し、これを毎日新聞がスクープした(新聞協会賞)。
 鉄剣の表には「辛亥(しんがい)の年、七月中に記す。私は乎獲居(ヲワケ)の臣。上祖(かみつおや)の名は……」など、年代(辛亥は西暦471年と推定)と自分、始祖の名などを列記。
裏には「世々(先祖代々)杖刀人(じょうとうじん)の首と為(な)り(中略)、獲加多支鹵(ワカタケル)大王の寺(役所)が斯鬼(しき)宮に在る時、吾(われ)、天下を左治(治めるのを補佐)し、此(こ)の百練の利刀を作らしめ……」と、自身が雄略天皇の杖刀人首(刀を杖つく人の首領=護衛隊長)だったことなどが記されている。
 同時に見つかった神獣の文様の丸鏡や、竜を透かし彫りにした金メッキの帯金具、勾玉(まがたま)などの副葬品と共に83年、国宝に指定された。鉄剣は劣化しないよう窒素ガスが封入されたケースに保管・展示されている。
 古墳群に埋葬されたのは、どのような人たちだったのか。確かなことは不明だが、「武蔵国造(くにのみやつこ)の乱」と結びつける説がある。
 南武蔵(現在の東京都と神奈川県の一部)では5世紀前半まで大型の前方後円墳が築かれていたが、5世紀後半には急速に衰退。一方、ここ北武蔵では5世紀後半に突然120メートルの稲荷山古墳が出現し、次々と大型の前方後円墳や円墳が築かれた。
この頃、日本書紀には武蔵国造(武蔵国の長官)の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が国造の座を争い、使主は朝廷の助けを求め、小杵を誅殺(ちゅうさつ)したと記されている。
 その後、使主は武蔵国内の4カ所を屯倉(みやけ)(朝廷の直轄地)として献上。その一つが横渟(よこぬ)(現吉見町)とされ、同町の吉見百穴と武蔵国造の乱の関連を唱える説もある。今後解明が待たれるところだ。
 古墳公園の面積は約37万平方メートルで東京ドーム8個分と散策にも程良い広さ。2月2日には古墳群の一つ、二子山古墳で発掘調査の現地説明がある。予約不要・参加費無料で、博物館の入館料(一般200円、高校・大学生100円、中学生以下無料)が必要。問い合わせは博物館(ソースでご確認を)へ。
@以下省略
眼前に国宝、驚きの博物館 埼玉古墳群のスゴさ
毎日新聞 2019年1月27日 11時51分(最終更新 1月27日 11時52分)
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