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2018.10.31
韓国最高裁は30日、元徴用工4人が植民地時代に強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償の支払いを命じた。国際法を無視した「異常判決」「デタラメ判決」といえる。韓国国民が知らない「徴用工の真実」について、朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏が緊急寄稿した。
まず、徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。
当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。
気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。
44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。
徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。当時では破格の月収140円という給料をもらい、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。
危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には200~300円が支払われた。屈強�