【戦後73年】岐阜・黒川開拓団、旧ソ連兵への「性接待」告白「なかったことにできない」 17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出す★3at NEWSPLUS
【戦後73年】岐阜・黒川開拓団、旧ソ連兵への「性接待」告白「なかったことにできない」 17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出す★3 - 暇つぶし2ch1:ばーど ★
18/08/16 20:32:41.61 CAP_USER9.net
 岐阜県の旧黒川村(現・白川町)から戦時中に旧満州(中国東北部)へ入植した開拓団の女性たちが、敗戦直後に団幹部の指示で旧ソ連兵に「性接待」をさせられたと告白し、衝撃を与えている。長く伏せられてきたが、「なかったことにできない」と公の場で語るようになった。(里見稔、編集委員・伊藤智章)
【解説】満蒙開拓とは何か
「性接待」証言活動支える家族 母たちの犠牲なければ
 「『(夫が)兵隊に行かれた奥さんたちには、頼めん。あんたら娘が犠牲になってくれ』と言われた」
 今月10日、岐阜市民会館であった証言集会。元黒川開拓団員で、終戦当時20歳だった佐藤ハルエさん(93)=岐阜県郡上市=が話し始めると、空気はピンと張り詰めた。
 「白川町誌」などによると、黒川開拓団は1941年以降、600余人が吉林省陶頼昭周辺に入植した。敗戦後、旧日本軍に置き去りにされ、現地住民らによる暴行や略奪を受け、隣の開拓団は集団自決した。
 当事者の証言によると、黒川は開拓団幹部が近くの旧ソ連軍部隊に治安維持を依頼。17~21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出した。45年9~11月ごろだった。一時期、中国兵の相手もさせた。
 都内在住の女性(90)は当時17歳。初めは飲酒の接待と思っていたという。ふとんが多数敷かれた仕切りもない部屋で、他の女性たちと共に暴行された。
 逃げようとしたこともあったが、相手にスコップの柄で打たれた。当時のメモを書き写したノートには、「乙女ささげて数百の命守る」「女塾で学んだ大和魂 音をたてて崩れ落(おち)る」などとある。自分たちを差し出した大人が許せず、帰国後、旧黒川村には2回しか行っていない。
 当時21歳だった安江善子さん…残り:514文字/全文:1181文字
開拓団での体験などを語る佐藤ハルエさん
URLリンク(www.asahicom.jp)
「性接待」当時、ひそかに書いたメモを写したノートを手に語る女性
URLリンク(www.asahicom.jp)
当時の黒川開拓団の様子。少年らが馬車で荷物を運んでいた
URLリンク(www.asahicom.jp)
2018年8月15日20時27分
朝日新聞デジタル
URLリンク(www.asahi.com)
★1が立った時間 2018/08/15(水) 21:14:07.88
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