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忘れられた医学の「天才」、病院衛生と消毒の父ゼンメルワイス
2018年8月7日 10:55
発信地:ウィーン/オーストリア [ オーストリア ハンガリー ヨーロッパ ]
【8月7日 AFP】時代を先取りした科学者が、存命中には認められずに無名のまま生涯を終えることは珍しくない。だが、人命を救うことに貢献したあるハンガリー人産科医の功績がようやく日の目を見ることになったのは、生誕200年を迎えた今年だった。
イグナーツ・ゼンメルワイス(Ignac Semmelweis)は、ルイ・パスツール(Louis Pasteur)による病気の細菌説が広く受け入れられる数十年前も前に、医師は徹底的に手の消毒をしてから患者を扱うべきだと主張していた。だが今日では医療の常識であるこの処置を、当時の医師らは簡単には受け入れなかった。
1818年7月1日生まれのゼンメルワイスは、1846年にオーストリア・ウィーンの総合病院の産科に勤務し始めた。そこで、医学生の臨床実習を行う病棟の産婦死亡率が10%以上、時には約40%と極端に高いことにすぐに気が付いた。それとは対照的に助産婦の訓練を行う隣接病棟の産婦死亡率は、当時の平均値である3%以下にとどまっていた。
ウィーンのゼンメルワイス財団(Semmelweis Foundation)理事長のベルンハルト・キューエンブルク(Bernhard Kuenburg)氏はAFPに、「ゼンメルワイスはこの差に大いに困惑し、疫学の徹底的な研究を始めた」と語る。
1847年にゼンメルワイスの同僚の医師が検視を行った後に敗血症で死亡したとき、疑問は氷解した。遺体には目に見えないが致死的な「微粒子」があるに違いないとゼンメルワイスは考えたのだ。
「当時の医学生は検視を終えると、手を消毒しないで真っすぐ分娩(ぶんべん)の介助に駆け付けていた」とキューエンブルク氏。
ゼンメルワイスは、せっけんの使用だけでは不十分だと考え、高度さらし粉(塩素化石灰)水溶液による5分間の手洗いを義務付けるという厳しい体制を取った。キューエンブルク氏によると、この「非常に簡単な方法」で、ゼンメルワイスは産婦死亡率を「ほぼゼロまで」下げることに成功した。
■医師会の怒りを買い、不遇の死
しかし、ゼンメルワイスは称賛を受ける代わりに、ウィーン医師会の重鎮らの怒りを買い、1849年に病院勤務の契約を打ち切られた。キューエンブルク氏は、「当時、医師らの自己評価は非常に高かった。彼らは当然、ひどい産婦死亡率の原因が自分たちにあったという考えを受け入れられず、憤激したのだ」と語る。
パスツールが「細菌」の存在をついに証明できるようになるまで、まだ四半世紀が必要だった。
キューエンブルク氏によると、他の医師は証拠を示せと要求した。彼らは「ゼンメルワイスが正しいはずがない。病原体を示すことができないのだから、彼の説はうさんくさい」と退けた。
同僚の医師らを「人殺し」とまで呼んだゼンメルワイスの激しい気性と立ち回りのまずさも、不利に働いた。晩年、ゼンメルワイスの精神状態は悪化し、1865年に47歳で精神病院で死亡した。
■EUでは院内感染で1日に100人死亡
ゼンメルワイスの名誉が回復し始めたのは、19世紀末に彼の説がパスツールやドイツ人細菌学者のロベルト・コッホ(Robert Koch)、スイス生まれのフランス人アレクサンドル・イェルサン(Alexandre Yersin)らの発見により証明されてからだ。
1924年、フランス人の医師で作家のルイフェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Celine)は医学論文をゼンメルワイスにささげ、彼を「天才」と称賛した。
今日、ゼンメルワイスは病院衛生と消毒の現代的理論の父と見なされている。
だが、世界保健機関(WHO)の感染予防専門家、ディディエ・ピテ(Didier Pittet)教授はAFPの取材に対し、手の消毒は医療関係者に常識として受け入れられているものの、実践は、いまだに体系立てられていないと語った。同教授によると、手の消毒によって世界中の「院内感染の50~70%を予防できるにもかかわらず」、順守率は「平均して50%」だという。
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(c)AFP/Philippe SCHWAB