18/07/06 13:26:32.79 CAP_USER9.net
「サリンを作ったり、人の首を絞めて殺したりするために出家したんじゃない」。
証言台で泣き崩れる弟子の姿を見ても、言葉を掛けることはなかった。
1996年4月の初公判。松本死刑囚は、宗教観を述べた上で、「今これ以上お話しするつもりはない」と認否を留保した。
証人尋問では、井上嘉浩死刑囚(48)が地下鉄サリン事件を謀議したとされるリムジン車内での会話を暴露すると、
「反対尋問を中止していただきたい」と動揺。その後も弟子の証言を妨害し、何度も退廷命令を受けた。
松本死刑囚が求めていた意見陳述は97年4月に実現した。地下鉄サリンについて、死亡した村井秀夫幹部と井上死刑囚の名前を挙げ、
「ストップを命じたが彼らに負けた」と責任を転嫁。時折英語を交えた陳述は2時間以上に及んだ。
地下鉄、松本両サリン事件の負傷者数を大幅に絞った訴因変更手続きが行われた98年1月、
「私は完全に無罪。裁判長が全面無罪を宣言した」と話したのを最後に沈黙。
3日間にわたる被告人質問では弁護人の問い掛けも無視し、2004年2月に地裁は死刑を言い渡した。
控訴した弁護側は「公判を停止し治療を受けさせるべきだ」と訴えたが、東京高裁は精神科医の鑑定などから訴訟能力はあると認定した
。弁護人が控訴趣意書を提出しなかったとして、一度も公判を開かずに控訴を棄却。最高裁も支持し、06年9月に死刑が確定した。
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