08/05/24 14:50:53
同書から故・井上大輔氏の「作詞家」富野評
―富野さんの詞に曲をつけたわけですが、作詞家富野喜幸として見るとどうですか。
作詞家ではないと思います。富野さんの場合は映画のボルテージそのまま、映画のためのコピーを書いたという感じですね。
―富野さんがもし作詞家になったらどうです。成功すると思いますか。
それはよくわかんない。いわゆる作詞で、ヒットしそうな言葉っていうのがあるんだけど、そういう言葉が一度も出てこないんですよ。
「涙」なんていうのはでてくるんですけど、それも甘い涙じゃなくて”辛い”涙なんですよ。
甘い涙だったりするとヒットソングになりやすいんですけど……。
そういう風に考えて行くと作詞家としてはダメだなという感じはするよね。ガンダムの詞だから「良い」という感じですよね。
「哀戦士」は完全に富野さんの作詞ですけど、「めぐりあい宇宙」の方は売野さんという方が補作をやってるんですね。
補作というよりも、共同作業をやってるんですよ、と、言うのは、もっと歌らしくしようよ、って僕が言ったんですよ。
「オレの詞じゃ歌えないのか。」って富野さんはブーブー言ってましたけどね。
できるだけ歌らしくしよう。血へど吐いて人がバタバタ死ぬっていうのは歌としてきついよ、ってわけでね。(笑)
売野さんていうのはコピーライターの人ですけど、その人と相談で英語の部分なんか入れたり、いろいろやったんですよ。
―富野さんは言葉を変えるとかいうのは……?
いやがるね。「やっぱりこれが必要なのよー。」とか「これが大事なのよ。」「これしか言いたいことは無いんだから変えちゃダメ。」とか。
ところがそれが一番キツイ言葉なわけ。ガンダムくさいわけ。それはわかる。
だけどそれをオブラートに包んで他の言葉で言い替えたいと、こちらは歌の人間として思っちゃう。
スタジオで三時間ぐらい喧喧囂囂やった記憶があるね。