08/04/04 06:43:55
元々、士郎正宗は商業デビューする気がなかった。
彼の作品のような読みにくい漫画は、商業誌の編集部にチェックされてしまうと
その特性が『欠点』とみなされ、万人が読み易いように『修正』されてしまうから。
でも彼は、その特異な作風が自分の欠点ではなく長所であり最強の武器であることを
自覚していたので出版社には持ち込まずに、SF専門店ゼネラルプロダクツに持ち込んだ。
1981年、関西のSF研究会連盟がSFコンベンションを開催した。
このイベントの大成功により、彼らはプロ以上の実力を持ったSFの最強集団と認知され、
彼ら自身も『日本一、SFに博識なのは我々である』などと信じていたのだが、
彼らの店に持ち込まれた士郎正宗作品を見たことで、その見識は一変したという。
その後、『SF専門店で飛ぶように売れている同人漫画』の噂を聞きつけた青心社が、
士郎正宗に商業デビューを持ちかけた。
青心社は超マニアックな本ばかりを出版していて、士郎正宗の作風を曲げようとはしなかった。
構想開始から実に2年半ほどかけて『雑誌連載せずに単行本丸々一冊書き下ろしでデビュー』
という異例の形式で士郎正宗は商業デビューした。
この『関西の出版社から漫画の書き下ろし単行本が出版された』という、事実そのものが、
通常ありえないことであり、士郎正宗がデビュー当時、既に超有名人であったことの証明だといえる。