08/01/30 20:17:05 F/CF3wWn0
>>252
確かに、地理上は、そうかもしれない。ジャンが自作の飛行機に「ラセーヌの星」という
名称をつけたくらいだから、セーヌ川流域のどれかの町が単に選ばれただけかもしれない。
(ル・アーブルがセーヌ川にあるのかどうかは、調べてないが)
それじゃあ、ナディアらのタルテソス王国がたとえアフリカ大陸の中央に位置していても、
黒人ではなく、その他の有色人種でもよかったわけだ。ちなみに、1話のパリ万博には、
日本からも、徳川と薩摩だったか、2つが出ている。出ているということは、有色人種
である日本人は、黒人ほど差別はされなかっただろう。(多少はあったとは思うが)
もともとアトランティス人の末裔なのであって、アトラス人が黒人である必然性はない。
だって、たまたまブルーノアの不時着した場所が、アフリカ中央だったに過ぎないのだし。
おいらは、実のところ、「アトランティス人=宇宙人」なのだから、ナディアは黒人と見えても、
単なる黒人ではなく、幼少から人種差別に苦しんだかもしれないが、ナディアの抱える真の問題は、
そうしたよくある人種問題ではないという形に、のちのち持って行く伏線だと考えるに至った。
島崎藤村の「破壊」のようなダイレクトな取扱いではなく、地球人と宇宙人の融和という形に
もって行って、そうした世界の違う者の間での他者理解の1つの道筋を描いたのだろう。
つまり、黒人差別の問題を直に取り上げると胸焼けがするけど、実は地球人と宇宙人の問題だ
とすることで、ある種の安心感を与えつつも、差別問題を別の形で考えやすくしたのだと。
これが最初から、ナディア=宇宙人だということが分かると、なかなかそこまで考えないと思う。
庵野がル・アーブルの当時の状況を知らないとは思いたくないなあ。知っていて、あえて
ル・アーブルに設定したと、今は考える。