08/05/27 15:28:10 dhKMt6Oz0
神、神、民は神をお慕いしております。大好きです。
何度も書きました。伝えました。大好きです。その気持ちは変わりありません。
でも、神の社交辞令は喜べません。ごめんなさい。
親しくさせてもらってるとか書かれると民はすごく悲しくなるんです。ごめんなさい。
神が気を使ってくださっているのはわかるんです。それが神の優しさだともわかってるんです。
だから民が悪いんです。ごめんなさい。
だって、民は民です。神は神です。
民は神大好き!と神が喜んでくれるならと※送ったり、メール送ったり、
経典買ったり、差し入れもしたり、その時カードも添えたり、
たまにその他大勢の一人として茶でお話させていただいていますが
民は民だという事がわかっております。寵愛など無い事はわかっているのです。
民は結構周りが見えなくなるときがあるので必死にセーブしてるんです。
期待しないように期待しないように神の重荷にならないようにと思ってるんです。
でも神にそんなことかかれたら一瞬期待して、その直後地に落とされる気分になってるんです。
本当に悲しくなるんです。辛いです。
神はきっと民が喜ぶと思って書かれているのだと思います。
その優しい気づかいは嬉しいのです。でも民は辛いのです。
何も期待せずにただ神を慕っていたい民は辛いのです。
記名※とかメールとか送っちゃったりして名前覚えられちゃった
中途半端に自己顕示欲が強い民が悪いんです。本当に神ごめんなさい。
神のお言葉を喜べなくてただ悲しむ民でごめんなさい。
でもぶっちゃけ社交辞令は本当に悲しくて泣きたくなるんです。本当にごめんなさい。
最近神を好きでいるのが辛くなってきました。ごめんなさい。全て民が悪いんです。